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「放牧中止」起案から 文言削除までを考える(全国愛農会月刊誌7月号寄稿文転載)

放牧ができなくなる?

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 六月一日、びっくりする情報がSNSを通じて回ってきました。「農林水産省は感染症予防対策としての家畜放牧禁止を見直して下さい!」というタイトルのオンライン署名キャンペーンで、発信元は「放牧養豚を守る仲間たちの会」という放牧養豚農家のグループのようでした。

 その呼びかけ文には以下のようなことが書かれていました。

◎豚コレラの感染拡大を受けて農林水産省は家畜飼育のルールを定めた「飼養衛生管理基準」を大きく改定しようとしている。

◎これによると感染病が発生した地域では、家畜の放牧飼育は禁止となる。

◎放牧農家は家畜の健康を一番に考え放牧を行っている。土や草の上で、太陽に当たり、風に吹かれ、自由に動き回る。この動物としていちばん大切な営みが、健康な身体をつくると思っている。

◎私たちは家畜という食糧を作っている。その飼育手段に、命や自然、自由を大切にする「放牧」を選んだ。その事が今回の改定で何の科学的根拠もないまま一方的に禁止されるかもしれない。

◎これからの家畜の感染症対策のひとつとして、放牧の有用性、可能性を残して欲しい。そして私たち放牧養豚農家もその話し合いの場に立ち合わせて欲しい。

(参照:https://www.change.org/o/放牧養豚を守る事業者の会 すでにキャンペーンは終了しているが閲覧は可能)

 日本には、家畜の伝染性疾病の発生の予防とまん延の防止により畜産の振興を図ることを目的とする「家畜伝染病予防法」という法律があります。
 日本における豚熱(※注1)の感染拡大はみなさんのなかでも記憶に新しいと思いますが、二〇一八年九月に最初の感染が確認されてからこれまでに、およそ十六万頭の豚が殺処分され、今年三月以降は飼育豚の新たな感染は確認されていないもののまだ収束はしていません。さらにアフリカ豚熱が中国や韓国・ベトナムなど近隣諸国まで迫っており、そうした事態に備える目的で家畜伝染病予防法の一部改正が足早に進められてきました。

 改正家畜伝染病予防法は今年の三月二十七日にすでに公布され七月一日の施行を待っている状態でしたが、その改正に伴い、施行規則としてそのなかに定められている「飼養衛生管理基準」も見直されることになりました。
 そしてその改正案の中には「大臣指定地域においては放牧場、パドック等における舎外飼養を中止」しなければならないということ、またそれに伴い「放牧制限の準備」という項目で「放牧の停止又は制限があった場合に備え、家畜を飼養できる畜舎の確保又は出荷若しくは移動のための準備処置を講ずること(畜舎を設置しなければならない)」という内容が含まれていました。「大臣指定地域」とは、豚熱に感染した野生イノシシがいる都府県および豚熱ワクチン接種地域を指し、現状二十四都府県がこれに該当することになります。

 このような改正案に対し、豚の放牧飼育をしている農家が反対を呼びかけ、(記録では五月二十一日に緊急呼びかけを開始)、SNSを中心に反対意見が広がりをみせているなかで僕のところにもこの情報が届いたのでした。


放牧禁止を意図しているわけではない?

 そのような情勢を受けてか、六月六日には日本農業新聞が「放牧に畜舎設置義務」の見出しで、八日には「放牧経営どうなる?農水省基準案『唐突』『根拠は』」の見出しで今回の一件を一面でとりあげました。
 愛農誌六月号にもこの件について農水省がパブコメを募集していることが出ていましたので、僕は六月五日に愛農会の理事として参加する東海ブロックの有機農業推進委員として東海農政局に「放牧禁止の真意」について問い合せをしていました。畜産担当者の返答は「本庁に問い合わせたところ放牧を禁止するものではまったくないと言っていたが、表記があいまいなので文章で回答してもらうようにお願いした」とのことでした。ネットの熱のこもった反対意見とは温度差が大きいなあと出鼻をくじかれた思いでしたが、翌日この件が日本農業新聞に掲載されてからは急に突き放すように「まだ決まっていないから詳細は答えられない」という回答に変わってしまいました。


新聞報道からたったの五日で放牧中止の文言削除

 そこからこの話題はSNSを中心にさらに広がり、ネット上の記事にも取り上げられるようになりました。日本農業新聞も連日のようにとりあげ、防疫のための「放牧禁止」に科学的根拠がないこと、放牧を行う農家のとまどいや懸念などを伝え続けました。
 署名活動を行う養豚農家も、放牧養豚農家は二重柵の設置など野生動物との接触防止策やワクチン接種などの防疫対策をじゅうぶん行っていること、世界的に推進されているアニマルウェルフェア、家畜の心身の健康を重視する飼養方法を求める世界の動きに逆行していること、改正案が新しい可能性を秘めた放牧技術の価値を認めず、制限と消毒、投薬に頼った、最も感染症に貧弱な養豚システムだけを残していくことにつながること、放牧と畜舎飼いでは放牧のほうが感染リスクが高いという証拠は見当たらないこと、などの主張を展開していました。
 そして六月十三日付の日本農業新聞で、飼養管理基準改正案から放牧中止に関する文言が削除されたことが報道されました。「畜舎の確保」については、一時的な「避難用の設備の確保」に変更され、設備を用意する際の費用補助についても検討されているようです。また新たに「大臣指定地域においては、放牧場について給餌場所における防鳥ネットの設置及び家畜を収容できる避難用の設備の確保を行うこと」の文言が加えられました。

 放牧中止が改正案から削除された後、「放牧養豚を守る仲間たちの会」は、集まったインターネット署名(四千三百三十八筆 期間・二〇二〇年五月二十九日~六月十二日)を携え、今回の改正案における「放牧中止の撤回」に対する素早い対応へのお礼と、引き続きアニマルウェルフェアを推進する取り組みをお願いする要望書を農林水産大臣あてに提出したそうです。
 日本農政が市民の声に寄り添いこれほど迅速に対応をしたことに「素晴らしい!」と賛辞を送りたいところですが、果たしてそうなのかと考えこんでしまいます。

根拠も検証もないまま書き加えられた「放牧中止」?

 この改正案が作成される経緯に関しては専門家会議の議事録が開示されておりだれでも読むことができます。読んでみると放牧豚の感染リスクの高低を検証する議論はいっさいなく、放牧養豚農家が行っている防疫の取り組みも認識せぬまま放牧豚は感染の主たる要因とされる「野生動物との接触」の機会が多いと決めつけ、根拠もあいまいなままで付け加えたのが「放牧中止」を指す一文だったのだろうと推察できます。さらに言えば参集した専門家たちも書き加えられた条文を深く検証することもなく承認したとしか考えられません。
 日本農業新聞の記事によると、全国の放牧養豚農家は百四十戸ほどだそうです。削除される前の基準案では「指定地域になった場合に家畜を飼養できる畜舎の確保」が必要となっていますが、その百四十戸ほどの放牧養豚農家のなかに飼養豚をすべて収容・飼育できるような畜舎を持たず放牧を行っている生産者がいるということは考えなかったのだと思います。つまり、今回の改正を進める農水関係者や専門家たちは畜舎を持ちつつ限定的に放牧を行う経営形態や畜舎飼い養豚しか頭になかったのでしょう。実際、私が東海農政局に問い合わせたとき対応してくれた畜産担当者は「そもそも畜舎を持たない完全放牧養豚農家なんているんでしょうか。豚を一時的に入れておく畜舎すらない放牧養豚は経営的に成立するのですか?」と聞き返されたくらいです。つまり農水関係者は、放牧養豚の実際に関しての見識を持たぬまま、この改正で影響を受ける養豚家などいない(放牧中止になれば畜舎に入れればいいだけのこと)という前提で、放牧中止を条文に書き入れたのでしょう。
 規則を作る側と現場で放牧養豚にたずさわる者の間に横たわっていたこのような認識のズレから、基準案作成にかかわった人は一人も、この基準案がそれほど重大なことだとは思っていなかったはずです。パブコメやSNS、ネット署名などを通して放牧中止に関する条文にこれほどの反対の声があがったことに驚いたのではないかと思います。


理解不足や無知を恐れず声をあげる姿勢を身につけることが必要だ

 今回は、市民から寄せられたパブコメやSNS上で拡散された署名活動、日本農業新聞が大きく報道してくれたことなどにより放牧中止の文言がすみやかに削除されることとなりました。今までの政治の傾向を見ていたら、パブコメなど形式的なものでしかなく、反対意見が多くとも「そのような意図はなく解釈の違い」という論法で押し切ったと思います。しかしそうではなく、省令とはいえ驚くほどあっさりと文言の削除と案の修正をしてくれたわけです。
 このようなことを可能にした要因には双方の認識のズレもあったと思いますが、それにもまして、こちらもこれより少し前にSNS上で拡がり大きな話題となった「種苗法改正」や「検察庁法改正」にたいする反対意見のうねりだったのではないかと考えます。そうした世相の動き・傾向から、今回に関しても私たちの「声」を意識したわけです。
 声をあげる市民の側に理解不足や誤解、あるいは政府が出してくる情報に対する誤読がないとは言えません(誤読に関してはそのようなことが起こらないよう、行政に携わる方は誰が読んでも誤解がない文章をていねいに一言一句積み上げる作業を行うべきだと思っていますが)。でもそれを差し引いても政治に聞き耳を立て、とにかく声をあげることの重要性を認識したのが今回の一件でした。
 私たちは時代・場所・社会階層などさまざまなステージで生きており、それぞれどこに属するかで見えている世界も、発する言葉が持っている意味・背景も異なります。今回のように、そこから生じる認識のズレ・言葉の持つニュアンスの違いが、私たちを縛る法律や基準の文言に反映されることはままあることです。そんなときに理解をあいまいなままにせず疑問をあらわにし、「現場の理解はこうですよ」「為政者の認識とはこんなふうにズレていますよ」という意思表示をちゃんと示さないといけないということが今回ははっきりと理解できました。だからこそ、為政者都合の法改正・法案の通過を許さないために、行政や為政者に声をあげ、言葉の背景にある認識・感覚のすり合わせをしっかりと行っていくことが必要不可欠だと思います。
 今回の一件は喜ばしい結果となりましたが、このあいまいでふわふわした意思決定の経緯を見過ごすことができずにいます。議会制民主主義国家の日本において、一般市民と為政者の間にこれだけ大きく認識がズレてしまっている日本においては、たとえ理解不足でも思ったことを恐れずに意思表示しすり合わせていける「プロフェッショナルな素人市民」という意識をもって、ふつうの感覚を政治にぶつけていくことが大切だと痛感しています。
(おわり)
※注1…豚コレラから豚熱へ名称変更された。
※全国愛農会に興味ある方は下記HPをご覧ください。
http://ainou.or.jp/main/

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