俺は演劇リボルバー 01

演劇、観てますか?

演劇を観に行くと必ずもらう、あのチラシ束。工夫を凝らしたチラシの数々。その一つに込められた思い。打ち合わせに次ぐ打ち合わせ。デザイン考えたりアー写撮ったり校正したり関係各所に確認したり印刷したり誤植を見つけて上からシール貼ったり1万枚のチラシ束から印刷が滲んでいるものをピックアップして抜き取ったり……。どうせ部数刷っても値段変わらないからと5千・6千・7千と次々に増えて配りきれずに事務所の奥で積み重なるチラシ束。公演が終わってドナドナのように台車に載せられて捨てられていくチラシ束よ。

もちろん、チラシというのは公演の告知のためにあるわけで、それだけの公演が行われるということに他ならない。知らない劇団。知らない役者。世の中こんなに演劇があるのかと感動すら覚えてしまう。あのチラシ束の重さは、人々の表現欲求、自意識の重さといっても過言ではない。

しかし、興味があったとしても、そのほとんどは資源ゴミと化すのが常である。だいたい、開演前や休憩中に選定を始め、興味がないものは劇場に置いてくる。見終わらなかったものは、帰りの電車で選定していらないものは駅のゴミ箱へ。あとは家のトイレに置いといて、興味を持った数枚がトイレに常駐となり、いつしか公演期間が終わって、結局はゴミと化すのである。

そんなことでいいのか、と。

興味があるかどうかでチラシを選別するなど表現というものを踏みにじる行為にあたるのではないか?

今まで捨ててきた数々のチラシ束の残骸にいつか呪われる日が来るのではないか?

我が国においていつまでたっても演劇文化が成熟しない理由は、ぞんざいに扱われてきた大量のチラシ束の中にあるのではないか?

悔い改めなければならない。観劇のスタイルを根本から問いなおすべきである。
例えば、チラシ束の中から無差別に1枚抜き取ったチラシの公演を観に行くというのはどうだろう。そして、観に行った時にもらうチラシの中から無作為にまた1枚引いてその公演を観に行く。これを繰り返していくことが、今まで燃やされていったチラシ束の供養につながるのではないか。

ということで、早速チラシ引きの儀を執り行います。
今回の立会人はこちらの方々です。

腕組みシスターズのお二人。
チラシ引きは立会人の元、厳正に行うことをここに誓います。

立会人が持っていた新国立劇場「十九歳のジェイコブ」のチラシ束から選んだ運命のチラシは……これだ!

「カウラの班長会議 side A」燐光群
http://rinkogun.com/Cowra_side_A.html

重っ!!!!! しょっぱなからレフトアローン!!

燐光群は社会派の作風で知られる坂手洋二が率いる劇団です。
岸田國士戯曲賞やら鶴屋南北戯曲賞やら紀伊國屋演劇賞やら第7回読売演劇大賞優秀作品賞やら、第10回読売演劇大賞優秀作品賞やら、第54回読売文学賞やら、第12回読売演劇大賞選考委員特別賞やら演劇界の錚々たる読売の賞を総ナメにしています。

この芝居を観に行ってもらったチラシがまた社会派ばっかりだったらどうしようかと今から楽しみでならない。

まずは、チケットを買わねば。嗚呼。

※以上です。今回のチケット代は一般前売 3,600円です。観劇代の足しにしなされ、と手を差し伸べていただける方、100円という文化のパトロネージをお願いします。パトロンの方は250字ぐらいのつぶやき(愚痴)が読めるようになります。ペア前売6,600円もあるようなので、一緒に行ってもいいよという方がいればコメント下さいまし。

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