『僕は美しいひとを食べた』 書評

『僕は美しいひとを食べた』
チェンティグローリア公爵 著 /大野露井 訳
ISBN:978-4-7791-2784-7


 「食べちゃいたいくらいかわいい」という表現を、私たちは至って普通に受け入れる。受け入れるし、使いもする。
 そのとき実際に食欲を感じていなくても、口に含んだり飲み込んだりしたいと本気で思わなくても、「かわいい」「愛おしい」という感情に対して「食べたい」がくっついてくることに、大きな違和感は覚えない。よくよく考えてみれば不思議に感じるかもしれないが、「食べちゃいたいくらいかわいい」「わかる!」……この間に、「ん? どういうこと?」という疑問は瞬間的には生じない。
 食べちゃいたい、とかわいい、の間に存在する感情について興味を抱いたとき、本書はその好奇心におおいに応えてくれるだろう。

 本書は愛する女性を食べた男性が、いかにしてその行為に至ったのかを、古今東西の食人に関する逸話をひもときながら語っていく、告白体の小説だ。だがそこに罪の意識に苛まれての懺悔や、己の行為の正当性を主張する意図は一切ない。それどころか、この男性が愛するひとを食べるに至った経緯を告白している相手は、あろうことか食べられた女性の夫なのである。
 告白体の小説という形式をとってはいるが、大部分を占めるのは世界中の食人に関する逸話だ。食人という行為がどのような意味を持ち、どのように受け止められてきたのか、「人が人を食う」ことを特異なものとするのはなぜか。「食人」という行為の歴史が、展示ケースに収められた芸術品のように示されていく。かつて明治や大正の世には衛生博覧会という、伝染病を予防するための衛生知識の普及を目的とした催事が存在したが、それを彷彿とさせるようでもある。リアルなものはグロテスクであり、また同時にエロティックでもあるのだ。本書で紹介されている膨大な食人の記録もまた、目を覆いたくなるような凄惨な絵を想像すると同時に、美しい愛の深さ、信仰の尊さを感じさせるものばかりである。
 愛ゆえに融合を望む、愛するものとひとつになりたいと思う。愛の果てに、その対象物を喰らい己の血肉とする。その感情は果たして異常だろうか。人間の三大欲求は食欲・性欲・睡眠欲だと言われるが、それらは本来全て同じものではないだろうか。食べることも性を交えることも眠ることも、究極的には受け止める行為と捧げる行為、肉体と意識と魂とを繋ぎ合わせひとつになるための行為に収束していくとは言えないだろうか。本書はその答えは示してくれないが、無意識のうちにがんじがらめになっている良識や常識に風穴を開けてくれるかもしれない。

 最後に、本書の装丁についても少し触れておきたい。ヒグチユウコ氏のグロテスクかつ色気に溢れた装画、少しざらついた淡い生成り色のカバー用紙――この美しい本を覆う皮膚に、私は一瞬で虜にされてしまった。さらにその皮膚を一枚めくってみれば、そこにはきちんと血や肉が存在するのである。赤々とした肉に、ひたひたと這う青い血管のようなライン。まさに書棚に収蔵したくなる、手元に置いて愛したくなる――食べてしまいたくなるような一冊だ。

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