『常世の花 石牟礼道子』 書評

『常世の花 石牟礼道子』
若松英輔 著/亜紀書房
ISBN:978-4-7505-1546-5


 声なき者の声や、形にさえならない痛みにじっと耳を傾ける。言葉にするだけなら簡単にできるかもしれないが、真にそうあることは誰にでもできることではない。
 石牟礼道子はまさにそのように生き、失われようとしていた小さな声をそっと掬い上げて言葉として残した、数少ない人物だ。
 亡き者とともに生きるとは。本書はそんな答えの出ない問いに、水俣病患者に寄り添い続けた石牟礼の言葉や生き方を通じて迫ろうとするものである。

 本書の著者である若松英輔は、引用の名手だ。
 若松は石牟礼と交わした会話や手紙、彼女の書籍の中にちりばめられた言葉たちをひとつひとつ丁寧に拾い上げていく。
 石牟礼が水俣病患者たちから聴きとった声を、若松が彼女の姿も合わせて再提示しているかのようだ。繊細で地道な営みは概して小声で紡がれる。小さな声をこぼさぬように、しかし雑音で掻き消さぬように。若松の引用には静かで落ち着いた心地よさがある。静寂の間に、水が音もなく流れ込むように愛情が満ちている。若松の眼差しを通して提示される石牟礼の言葉は、静けさを抱いて凜と立ち現れる。

人が死ぬということは、その人とより深く逢いなおすことのようです。生きているうちにそれが果せぬゆえに、人は美しくなって死に向うのでしょうか。

『花をたてまつる』石牟礼道子

 石牟礼道子は抗議の声さえも奪われた水俣病患者たちの生き様を、詩という形で世の中に表した。その詩の結晶が石牟礼の代表作『苦海浄土 わが水俣病』である。
 『苦海浄土』は小説だが、石牟礼は詩であると捉えていたという。声なき者の叫びを受け止めるための営み。それは手仕事の減った便利な現代社会において忘れ去られつつある。目をこらし、思いに直に触れ、手でものを書いて、あらわす。石牟礼の営みを、若松は静かな眼差しで見つめている。
 石牟礼は「美とは悲しみです」とも書いた。愛し、と書いてかなしと読むことができるが、そういった感覚に通じるようにも思う。
 古来より人は、悲しみに美を見出してきた。『苦海浄土』にもそんな美しさが満ちている。ありのままの悲しみをありのままの形で受け取ったとき、人はそれを美しいと思い、表現する。悲しみの中に荘厳ななにかを見出すのだ。

 死者によって生者の日々が支えられている。私たちの日常もまた、誰かの悲しみに支えられているのかもしれないと若松は語る。死者は沈黙の語り手であると。
 見えざるものの存在のかたち、それは受け取る人によって様々に姿を変える。自分の前にはどのような形で現れるのだろうか。ゆっくりと時間をかけて探してみたいと、本書を閉じた余韻の中に思いを巡らせてみる。

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