『1793』 書評

『1793』
ニクラス・ナット・オ・ダーグ  著 ヘレンハルメ美穂 訳/小学館
ISBN:978-4-09-407162-7


 1793年秋、ストックホルムの魚倉湖で見つかった死体は、両手足を切断され、目も舌も失われていた。凄惨な事件の真相を追うべく立ち上がったのは、末期の結核に侵された法律家――セーシル・ヴィンゲと血の気の多い隻腕の元軍人――ミッケル・カルデル。僅かな手がかりと正義の灯を頼りに、二人は汚物と腐敗に荒みきった街の深淵に踏み込んでいく。

 ここまでのあらすじで興味をもった方はまず間違いなく楽しめると思うので、全力でおすすめしたい。結核に侵され死にかけで亡霊のような法曹家と、暴力でしか己の心を守れない元軍人の引っ立て屋のバディ……刺さる人には間違いなく刺さる関係性である。正反対に思えた二人が腹の底に抱えるものの共通性に気づき、互いの持つ痛みを同情ではなく敬意をもって受け止め、否定することも賛美することもなくただありのままを認め合う。出会うべくして出会ったような二人が、相棒として心を通わせ絆を深めていく過程に、捉えどころのない感情よりも明白な理性が示されているのが好ましい。
 強い感情(特に愛情)が人との関係性を生み出し、情緒豊かなドラマを編み上げていく物語は数限りなくあるが、この作品はそこにも疑問を投げかけているように思う。強い感情の発露を否定はしないが、人はもっと理性的に、自らの感覚や思考を他人にわかる形ではっきりと表すことができるのではないか? 暴力や支配や騙りに頼ることなく他人の心を動かす、それには膨大な労力と他人を理解するだけの時間が必要だが、その煩悶の先にしか「より良く在る」生き方はあり得ないのではないか? ――著者はそう言っているような気がしてくる。主人公たる二人の生き方、関係の築き方は、どこまでも理性的でそれゆえ少し哀しい。

 人間ドラマの描写の良さを推されてもいまいちピンとこなかった……という方には、この作品の史実とフィクションの完璧な融合性をおすすめポイントとしたい。
 著者のあとがきによれば、この作品の舞台に1793年という年を選んだのは、ヨハン・グスタフ・ノルリーンという実在した警視総監の影響が大きいという。作中には実在した彼の身に起きたことから、周囲の人間の策略や当時の歴史的背景に至るまで、ありとあらゆる事実がこれでもかと散りばめられている。複数の視点から描かれることで深められた世界は、どこまでが史実でどこからがフィクションなのか見分けがつかない。そんな世界にぽたりと落とされたミステリの種。その一点がより一層境界線を曖昧にかき混ぜていき、読者を物語の中に強く引き込んでいく。舞台装置の設計が丁寧で隙がない。それがこの作品の大きな魅力になっている。
 著者の時代考証は人物だけにとどまらず、18世紀末のストックホルムの街、現在の美しい都市からは想像もつかないような汚物と腐敗に塗れた街を解像度高く目の前に立ち上がらせることに成功している。人物の持つコーヒーカップの柄さえ見えてきそうな描写、目を背けたくなるような凄惨な場面の持つ強烈な臭いが、21世紀に生きる我々を18世紀にタイムスリップさせてくれるのだ。それは幸福な読書体験で、最近とんとご無沙汰だった重く手応えのある読後感をもたらしてくれた。

 この作品は3部作の第1巻であり、9月の上旬に続巻が刊行され、10月には最終巻の刊行が予定されている。2巻はまた違った冒険とミステリが待ち受けているのだが、その紹介は次の機会としたい。今読み始めれば最終巻を待つドキドキも楽しめますよ!…というのが、今この作品を強くおすすめしたいと思った3つ目の理由だ。私は早くも発売が待ちきれない日々を過ごしている。


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