『EOSOPHOBIA』書評

『EOSOPHOBIA』
篠乃崎碧海/2022年11月20日文学フリマ東京35初頒布作品
通販はこちら→https://aomi-su-su.booth.pm/items/4335675


 随分と毛色の異なる作品が出てきたものだ、というのが第一印象だった。木漏れ日のさす柔らかな景色、ふっと涙のこぼれるような夕暮れ、遠い記憶の中にゆったりと揺蕩う春の残響――そういうものを得意としているかと思いきや、二年ぶりの新作は光のささない深い夜の底から始まったのだから。
(これは、著者自身が新刊を読んだ第三者になりきって書いた、おふざけ書評です)

 舞台は異なる歴史を辿った仮想1980年の日本。三度目の原子爆弾を落とされ、戦犯は処刑され西暦しか持たなくなった敗戦国で、現在の新宿にあたる地域には九龍城砦さながらのスラム街が築かれている。そんな街に密かなる思いを胸に生きる、余命僅かな裏社会の情報屋がいた――という設定はいかにも作者好みの退廃したディストピアを感じさせるのだが、本作はディストピアめいた世界観を伝えることを主題としているわけではなく、もう少しざらざらとした手触りのある、そこに住まう者の呼吸を感じさせることを目的に書かれているように思う。
 聞けば作者は、いつかはミステリ要素のあるエンタメ作品を書いてみたかったのだという。なるほど確かに本作には多少のミステリ要素はあるが、ミステリを追求するよりも「身体は弱くとも精神の強い人を書きたい」という性癖が全面に出てしまっているところは、いかにもこの作者らしいところである。最早お家芸と言っても過言ではないだろう。
 というわけでミステリ要素はフレーバー程度に、とことんまで人間ドラマを突き詰めた結果、本作はこれまでになかった群像劇ノワールとなっている。闇深い夜が支配する街で、裏社会の情報屋として生きる青年「蒼月」の元に持ち込まれる依頼がこの物語を動かしていくのだが、そのひとつひとつにはそこに生きる人間それぞれの命があり、信念があり、野望がある。この作品の主人公は蒼月という情報屋だが、彼以外の登場人物も彼と変わらぬ重さの命を持ち、心の奥に何かを抱え、明日に望むものをその瞳の奥に宿らせている。そんな光が集まって夜の先を一瞬照らすとき、深い痛みや悲しみの先に待つ希望が垣間見える。
 本作には繰り返し雪が登場する。雪は蒼月のとある記憶の景色と繋がっていて、リフレインする度に彼を苦しめるのだが、ある瞬間を境に巻き戻しは起こらなくなる。「決して忘却を許されない」記憶特性を持つ彼が思い出さなくなるとはどういうことなのか、読後しばらく考えてしまった。
 記憶の反復、変質、上書き。この作品はそういうものもサブテーマとしていて、蒼月の記憶特性はそれを端的に表すための舞台装置でもあるのだ。雪を見ても過去に絡め取られることのなくなった蒼月の「記憶の変質」は、この作品の中で最も深く優しい「赦し」である。
 きっと、誰もが赦されたいのだ。この作品は、そんな思いに少しだけ寄り添ってくれるかもしれない。


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