『悲しみの秘義』 書評

『悲しみの秘義』 著者:若松英輔
ISBN:978-4-904292-65-5


 言葉と思考を尽くして悲しみを胸の奥深くまで、深呼吸して体と精神の隅々まで行き渡らせる。目を逸らさず、言葉を濁さず、心の声に嘘を返さずまっすぐに向き合った先に見えるものを、本書は教えてくれる。

 著者は批評家でもあり、詩人でもあり、キリスト教徒でもあり、言葉の観察者でもあり、かけがえのない存在を喪ったひとりの人間でもある。本書には多くの引用が出てくるが、著者が様々な要素を持つからこそ、言葉と世界の幅が広いのだろう。受け取る私たちの精神にも、きっとそのうちのどれかは染み込むのではないだろうか。もしもあまりピンとこなかったとしても、そう気に病む必要はない。著者は「詩」との出会い方、内なる言葉との向き合い方も提示してくれている。
 「詩」は沈黙の中から、じっと立ち止まって己の中の声に耳を傾けることからはじまる。著者の言葉や、引用された言葉を読みながら何かが心の中にふわりと浮かんだら、それはきっともう詩の一欠片として呼吸を始めているのだ。
 引用を通じて、著者は「悲しみ」を言葉にしようとする。目には見えずとも、魂で、心の目で触れられる形の輪郭を与えることで、悲しみとは何か、永遠の離別とは何かを考え、深めていく。本書の引用文はどれもどこか温かく、優しい気配がする。それは著者が言葉に触れた瞬間の思いや心の変化までも繊細に綴っているからだろう。ぽつぽつと呟くような言葉は背中を強く押しすぎて転ばせることもないし、手を引いて急かすこともない。私たちのからだにその言葉が染み込むときを静かに待っていてくれる。それが、心地いい。
 誰しもに忘れがたい悲しみや痛みがあるだろう。それらを何も書かれていない真っ白で孤独な一枚の紙だとするならば、本書はそこにひとしずく垂らされた淡い色水のような存在だ。淡すぎて最初は目に見えなかった色も、繰り返すことで少しずつはっきりしてくる。その過程を美しいと思えたときには、私たちはもうすでに悲しみと共に先へと歩み始めているのだろう。

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