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代替の溢れる街で

救いようがない自分だけれど、救われたいし救いたい。 これは救うことで救われたい感情とは違う。 ----- そのとき初めて気がついたけれど、 8ヶ月間、誰かの心の底の声を一度も聞かなかった。 上辺だけを見ることが当たり前になった毎日で、悲しんだり、苦んだり、怒ったりしていた。 僕がその話を聞くことになったのは、自分がその輪の中にいないからだと思った。 いわば中立であり、関係のない人物だからだと。 でもそれは違った。 そして、この街に来て初めて僕は唯一の僕になれた。 その感

    • 誰にでもできないことのために生きる

      15連勤に近いような働き方をしたあと、軽い燃え尽き症候群になった。意地でも仕事回すぞっていう意気込みだったが、ふと振り返るとそこまですごいと言われることでもなかったし、手順を見れば誰だってできる仕事だった。なぜ生きているのか、今まで生きがいになっていたものはこんなものだったのかと絶望した。 そこで思ったのは、誰にでもできることを極めても仕方ない、つまり誰にでもできることのために生きてはいけないということだ。 誰にでもできる仕事を否定するわけではない。しかし何を目指して、何

      • 昨日まであったもの/いつのまにかなくなったもの

        過去を忘れられないでいる人、過去にすがってる人、思い出を手放せない人、何でも過去の出来事と結びつけてしまう人のことをずっと理解できないでいた。でもいつのまにか自分もその一人であることに気づいた。過去を反芻することこそが自分を自分でいられるようにするとさえ思った。それではいけないのだけれど、どうしてもやめられない。そんな自分を許せなかったし、過去を引きずっている人は誰であっても嫌いだった。今見えるものを見ようとしていないということだし、逃避の手段に使うことが許せなかった。 で

        • 自分を苦しめるだけの理想は捨てよう

          空っぽになるのがこわいから 今日も部屋を片付けられない。 孤独がこわいから 今日も要らないものを捨てられない。 本当に必要なものを失うのがこわいから あまり必要じゃないものを抱え込む。 どこから手をつけていいかわからなくて、 今日もまた途方に暮れる。 目標がない。 「こうなりたい」がない。 「これがしたい」も弱い。 夢中になる集中力も体力も気力も時間ももったいなく感じる。 一時的な意味をその都度追い求めて それが切れるとどうしようもなくなる。 部屋を片付けられない

        代替の溢れる街で

          今ここにあるもの/もうどこにもないもの

          10/03 月が綺麗だった夜から2日間が経った。 あの日はまるで奇跡に包まれていた。 昨日はビルやマンションや東京タワーの光を眺めた。 どれもどこか現実離れしていて、まるで 「どこか別の場所」そのものにいるような、そんな気さえした。 東京が初めてこわいと思った。 12時のベルが鳴れば、すべて嘘になる世界。 自分がシンデレラだと錯覚してしまうほど、 世界は美しく、したたかだった。 もし、嘘ではないものがあるとするならば、 それは自分自身だろう。 ほとんどすべてのものはどうにでも

          今ここにあるもの/もうどこにもないもの

          2020.06.12

          気づいたら眠っていて、 起きたらここはどこなのか忘れた。 こんな感覚は久しぶりだ。 何を求めて生きるのか。 こんな人生に何の意味があるのか。 そんなことは実際どうでもいい。 ただ必死でもがくことが、 生きるってことなんだろう。 終わりを何回も迎えて、 何度も失って、 それでも。

          2020.3.16

          あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。 僕たちはそんな風にして生きている。 (村上春樹『風の歌を聴け』)  4年間で得たものは、何を掴んで何を手放すかの感覚だったのかもしれない。同じ事象でも人によってその解釈が異なるということは、人の分だけ事実があるということなんだろう。  わかり合えなさ、認めてもらえなさについて思うととてもつらい。伝える先への想像力が必要だし、それを形にしなければいけない。しかしどれだけ頑張っても伝わらないものは伝わらなかったり、