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ジムニーを探しに行く|ジムニーSJ30までの道のり⑨

ジムニーを買う。気持ちはもう決まりました。買えるのは、早くても冬のボーナスをもらってから。でも、探し始めることにしました。
ここまでが長かったので、このあたりからお話のスピードを上げたい思います。

 当時、インターネットはまだ一般的ではありませんでしたので、車探しといえば雑誌『カーセンサー』(リクルート社)と、後から発行された『Goo』(プロト社)で、いずれもたしか100円だったと思います。格安なのは、おそらく中古車店からの掲載料で採算が取れるのでしょう。この100円の雑誌が相当楽しめるのでした。

 巻末には、掲載されている数万台の詳細な索引があります。メーカー名「スズキ」、車種「ジムニー」の項目を探し出すと、そこには掲載各店舗の全ジムニー100台以上が、価格の高い順に並んでいたと記憶しています。
 細かい車種の横には年式と走行距離の他に、色、パワステ、パワーウインドウ、エアコン、カーステレオ等の装備やオプション、掲載ページが記号で書かれていました。
 繰って掲載ページを開き、掲載番号で目当ての車を見つけます。1ページに30台くらいが写真付きで載っていました。半分くらいのページは白黒だったと思います。

カーセンサー昭和60年 臨時増刊号
写真:Ⓒaucfan


 索引は、手作業で並べられたただのリストなのです。でも、これが特定の車がほしいユーザーと販売店とを結びつける、見事な「仕組み」だったことが、今になるとわかります。
 そして、巻末索引から1台ずつ、掲載されているページを探して見ていく作業がとても楽しいのが、この雑誌の凄さなんだと思います。検索して抽出する以上の、「誌上で探す行為」を、エンターテイメントにしているように感じます。宝物を探すRPGに気分は似ています。
 自分にピッタリの一台を探し出すまでの過程の中には、当時は今よりもずっと大きかった車へ価値が、反映されていたのかもしれません。車への思い入れを感じてしまうのは、自分に照らすからでしょうか。

ジムニーJA11
写真Ⓒ『最高 ジムニー660』山海堂 1995

 誌上では、ジムニーはあちこちの店舗に点在していました。それぞれのページの角を折って、何十回も小さい写真を見比べました。
 その中で、視線をクギづけにした店舗がありました。川崎市宮前区にあった「ジムニー工房」です(社名は愛光自動車だったと思います)。この店だけは、掲載の約30台がすべてジムニーでした。世の中の一部に、強烈なジムニーへのニーズを持つ人がいることがうかがえます。
 販売しているのは、10万円くらいの古い車種SJ-10から、100万円くらいの新しい車種JA-11までの幅がありました。このページを眺めるだけでも、何週間も過ごせるのでした。

 それから、もっと詳しく知りたくて、当時数多く出ていた4WDの雑誌に時々載っているジムニーのページを本屋で探して繰り返し見ました。また、年に1回出る数誌の『現行4WD全車種特集号』は、何カ月もそれを見て過ごせました。
費用面から、軽自動車であるジムニーを考えていました。同じくらいのスケール感の普通自動車で、魅力的に感じていたのは、ダイハツのロッキーとラガーでした。


ダイハツ ロッキー
写真:Ⓒビークルズ

 ロッキーは、確かFRPの屋根が外せる構造になっていたのです。
 探してみたところ画像がありました!
 写真を見ると、運転席の屋根もスライドガラス等ではなく、取り外し構造ですね。オプションで後席の幌は用意されていたと思います。


ダイハツ ロッキー
写真:Ⓒビークルズ

 今見てもかわいいですねぇ。2列目シートがストライプです。横開きのバックドアがカッコいい。
 当時の評では、「車重に対してサスペンションが硬いため、お尻(後輪側)がポンポンと跳ねてしまう」とありました。また、「日本の住宅事情では、外した屋根の置き場に困る」とも。後席シートを外せるベンツワゴンにも同じことが書かれていました。

 一方、下はラガーです。

ダイハツ ラガー
写真:Ⓒビークルズ

後ろの窓の雰囲気がいいですね。ランドローバーディフェンダーのような上部の小さい窓は、明るい車内を想像させます。また、ガラスが横にスライドする「窓」感が、家のような雰囲気を醸し出しています。私の車に求めるイメージが「テント」だったので、このデザインは好みに合っていました。


 こんなふうにして車を思い浮かべる日々を過ごし、いよいよボーナスまであと一カ月くらいになってきました。この頃になると、もう雑誌や本だけでは満足できなくなっていましたので、実物を見に行くことにしました。
 もちろん、カーセンサーに載っていたジムニー工房です。曇りの日、たしか東急田園都市線の梶が谷駅で降りて歩きました。細い県道に面したそこは、まったく派手さのない普通の駐車場のよう。よく見ていないと、通り過ぎてしまうような場所でした。
 でも、そこに並んでいる約15台の車は、全部ジムニーなのでした。たぶん私はニヤッとしていたことでしょう。憧れの車が、目の前にたくさん並んでい
るのですから。
 思えば、町で道に止まっているジムニーを立ち止まって見ることはあっても、近くに寄って子細に見たり触ったりするのは、これが初めてでした。
 おそるおそる近づいて道から眺めていると、「ジムニーをお探しですか」と作業中だった店員さんが出てきました。「まだお金がないけれど、ボーナスをもらったらジムニーに乗るつもりで見に来た」というようなことを話したところ、どれでも自由にドアを開けて乗ってみていいし、エンジンをかけたければキーを持ってくるとのこと。
 それで憧れの運転席に座りました。飾らないトラック然とした大きめのハンドルを握ると、それだけで「ああ、いいなぁ」と幸せな気持ちになりました。

 あまり知られていないことですが、ジムニーは軽貨物車登録なのです。貨物車の規格は、後部座席を畳んだ際の荷室長は前席の乗用部分長よりも長いこと。軽自動車の短い車長で荷室長を確保するために、ジムニーの後部シートは薄くて、足元が狭くなっています。また、貨物車である証拠に、後部窓の内側には、ガラスを積載物から保護するためのバーが横に走っています。
 この荷室が実際にはどのくらいの広さ感なのかは、ずっと知りたかったことでした。部屋の中でメジャーで荷室の広さを作ったりしていましたが、実物で感じてみたかったことです。許可をもらってバックドアを開けて後部座席を畳んでみることにしました。覚えるほど本を読み込んでいますので、座席の畳み方は、自分の車のようによく知っています。手際よくたたむと、真四角な車体なこともあって、相当広い空間が広がっていました。私は、イメージがわく空間に大満足でした。

 それから、お願いして何台かのエンジンをかけてもらうと、ジムニーが生き返ったように感じられました。「やっぱりジムニーだ」と、あらためて強く確信しました。

 順にすべての車を見て回る中で、中に値段が安いものが何台かありました。それが10万円のSJ-20と、15万円と25万円のSJ-30でした。
 これだけはどうして安いのかを訊くと、2ストエンジンだからとのこと。読んでいる本の最初の章のジムニーの歴史に載っていたのを思い出しました。SJ-30のスタイルは現行のJA-11と同じで、一世代前の車でしたので、そんなに悪いとは思えません。
 こちらもエンジンをかけてもらいましたが、最初はかかりにくくて、店員さんはチョークを引いて慎重に回転を上げていました。ポンポンというエンジン音は、新しい車よりも好きな音でした。
 2ストはダメなのかを店員さんに尋ねると、「一世代遅い感じだが、普通には走る。辛いのは高速道路で100キロの流れには乗れないこと」「エンジン形式が古いのが理由で人気がない。でも、オフロードでは粘るし力を発揮する。好きな人はすごく好き」とのこと。
私には、その赤いジムニーがとてもかわいく映りました。エンジン音が楽しげでいいなと思いました。25万円でこの車に乗れるんだったらいいなあと。これが、後に相棒となった彼との出会いでした。

これと同じ色、形の車でした
写真:Ⓒしえらで遊ぼうよ♪


 1カ月たって見に来た時にも、まだ彼はそこにいました。私は他の車に目もくれずにまっすぐに近づいていき、「この車を下さい」と言ったのでした。

 納車前整備をするので10日程度かかるとのこと。その間に自宅から2キロくらいある場所に、砂利の格安の駐車場を見つけたり、やることはいろいろありました。

 結局、諸費用込みで(任意保険もそこでお願いし)、総額は35万くらいでした。

 帰り道はもう嬉しくてご機嫌でした。付いていた小さいカーラジオを鳴らしながら、彼を家に連れて帰ってきました。

こんなふうにして、彼との生活が始まりました。

(つづく)

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文:©2022 青海 陽

※次の更新予定は、11月20日(金)です。






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