【フワッとエッセイ】正当な評価/歴史を重んじる

普通にゲームや競馬をして生きていています。そこらへんのことはアウトプットしたいことがあんまりなくて、書くことがない…ぼけーっと考えていることはあるけれど、書くほどじゃなくないという雰囲気に。

そんなことばっかり考えているとnote更新できそうもないし、一旦キーボードを叩く。いくか。

能力の正当な評価

昔はコミュニケーション能力に若干の難ありでも仕事を処理する能力が高ければ評価されるべきって思っていたし、それが「フラットに能力を見る」だと考えていた。

自分は人と話すのがうまくはないし、伝えるのも相談するのも苦手。遅刻癖もある。でも周りの同期と比べると明らかに処理速度は早い自信があったが、うまく評価されてないんじゃないかって考えていた。

実際「仕事の処理」というだけでいうなら評価されるべきなのかもしれないけど、仕事は処理したりするだけじゃなくて横や縦のつながりもとても大事。他の人に気持ちよく仕事をさせる、自分も気持ちよく仕事をすることも最終的な全体パフォーマンスに大きく影響する。

そうしたときに仕事の処理能力だけで評価(給料)を決めるのってかなり難しいと考えられるようになった。コミュニケーション能力を過小評価していないか?しかもコミュニケーション能力があると最終的に仕事できるようになったりするから結局あなた(私)の価値ってどれくらいなんだろう。

年功序列

さらに、最近は能力絶対主義でなくて年功序列も正しいのかもしれないと考えている。正直会社員として働いてない今、死ぬまで今か今以上のパフォーマンスを要求されるが、それを続けるのは明らかに難しい。

もちろん年とっても能力が高いことが好ましい。だけど日々新しい技術が出てくるし(出てこないことは楽しくない)若いやつだってどんどんでてくる。長い目でみたときに若いうちにある程度頑張って、あとは年功序列に身を任せる。とても良いシステムだ…

そもそも能力主義ってめちゃくちゃ怖くて、自分がその能力を持っていますか?歳取った時怖くないですか?とかいろいろあるわけで、失敗と成功を繰り返して今の形に落ち着いたんだろうと納得した。

歴史を重んじる

今だけを見て最適解を見つけたつもりでも、過去の人だって試行錯誤して今の答え・行動になっている。そういうことを考えながら世の中のいろんなことに納得できるようになった。

他人だってちゃんと考えてるとか、行き着いた背景とかちゃんと知ることができるといいな、そこから進展させられるといいなとかそんなことを最近は考えている。

良くも悪くも歳をとったなと感じる。視野が広がって許せることも増えた。キャパシティが増える、丸くなるの真の意味を身を以て感じる30歳4ヶ月。


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