「保留」とか「干渉しない」というポジティブな判断

 僕は、昔からゲームの文化にあまり触れてこなかった方なのだけれど、ポケットモンスターのシリーズ作品は何作かプレイした経験があるし、今でも大好きだ。小学生で、当時の社会現象にもなったあの熱を浴びたのは大きいのかもしれない。中学生になったくらいのタイミングで、一時期、シリーズ作品から離れたけれど、数年前に DS を中古で買ってから、最近になっても過去の作品を楽しんでいる。ポケモンは新しいモンスターが追加され、「世代」を重ねる。リメイクやマイナーチェンジ版も発売されるから作品数はなかなか多い。中でも僕が好きなのが「ブラック2・ホワイト2」だ。

 その理由のひとつが、この作品に登場するトレイナーや街の人たちのセリフの良さにある。「しんどいときは休め! 元気は無理やり出すもんじゃない」と言ってくれるサラリーマンがいたり、「人に囲まれて生きるにはみんなを好きになるか、自分だけ好きでいるかなのかな?」と考えさせるようなセリフを言ってくれる女の子がいたり……。

 さまざまなキャラクターがいる中で、僕が最も印象に残っているのがセイガイハジムのジムリーダーであるシズイだ。彼は最初に主人公がジムへ訪れたとき、ジムを留守にして海で泳いでいたり、バトルに負けると (主人公が勝つと) 何事もなかったように海に飛び込んで泳ぎ去ってしまったりと、とにかく自由でおおらかなキャラクターだ。

 ポケモンシリーズの作品には、いわゆる”悪役”と呼ばれるような主人公と敵対する組織が存在する。ブラック2・ホワイト2では「プラズマ団」と呼ばれる組織がそれに該当する。組織の人間たちは「ポケモンを人間から解放すること」を大義名分に、各地のトレーナーからポケモンを奪うなどしている。この組織に対するシズイの取ったスタンスが僕は好きだ。

 まず、プラズマ団の噂を知らなかったシズイは主人公たちからプラズマ団の悪行について話を聞く。そして「プラズマ団は悪いと思うか?」と主人公たちに投げかける。ここはプレイヤーが選択肢を選べるようになっているが、どちらの場合も「では、それを自分の言葉で語れるようにならんと。そうすれば自分が何をしたいか何を望んでいるか見えてくる」と言い残して、また立ち去ってしまう。

 そのあと、主人公たちはプラズマ団がアジトにしている改造船に乗り込もうとするが、侵入に手間取ってしまう。ちょうどその時、改造船からタラップが降りてきてシズイが再び登場する。そして、このようなことを口にする。「プラズマ団に恨みはないし、本当に悪いことをしているのかも知らない。みんながプラズマ団のことを悪いと言ってるから、何も考えず『悪い』と決めつけるのは自分の流儀ではない。ただ、あなたたちが困っているなら助けたい。これが自分のやりたかったことだ。いいか、『なぜそうするのか』という信念を持てよ。その信念が自分に力をくれるんだ」 こう言い残すとやはり立ち去ってしまう。主人公たちはシズイが船へ侵入して降ろしてくれたタラップを昇って船内に入ることができた。

 このシズイの考え方が、初めてプレイしたときから好きだ。人から聞いたいかにも悪そうな組織の噂。ただ、彼はその組織を「悪」だと決めつけるのには材料が不足しているし、自分は実際に何か体感をしたわけでもない。だから「悪」だと決めつけずに、態度を保留して、直接的に問題に干渉することはしなかった。一見、宙ぶらりんに見える判断だけど、彼のセリフから、確固とした信念に基づく判断であることが分かる。彼はとても自由気ままで、あまり考えることもなく生きているキャラクターに見えるけど、周りがよく見えていても流されることはなく、判断の基準は自分の中にあって、「自分で考える」ことを信念に生きているキャラクターだった。

 「悪」を糾弾すれば、「正義」になれた気がして安心できるかもしれない。ただ、それは悪ではないもの (あるいは部分) に対して「悪だ」という勝手なジャッジをしてしまう恐ろしい可能性を含んでいる。そして、一度出した判断に対して「本当にそうだろうか?」と自分に問いかけてみると、意外とジャッジするには材料不十分だったりする。判断の「速さ」は要素のひとつであって、速いことがすべてではないから急がなくてもいい。そう考えると一見、中途半端に見える「保留」という回答がポジティブな意味を持って輝きだしたりする。判断の材料はいつか揃うかもしれないけど、「悪だ」という判断は時にハンマーを振り回すような暴力性を孕んでいて取り返しが付かないかもしれない。何かに問題意識を持つのは大切かもしれないけど、その時に自分がどこまで干渉するのか、どういう干渉の仕方をするかは、もっと自分と対話を重ねて決めることなんだと思う。

 もちろん、いつも「保留」というわけにはいかないし、問題とタイミングによっては判断の材料が揃わなくても突っ込むしかないこともあると思う。「自己責任」をめちゃくちゃ押し付けられる場面が多い社会だから、流されることも否定はできない。ただ、せめて、材料は常に都合よく揃っているわけではないことは覚えておきたい。シズイからは物事の丁寧な捉え方のようなものを教えてもらった気がする。