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ミレニアム世代が語るレディ・プレイヤー1

〜CGで疾走するデロリアン、2015年を描いたスピルバーグが描く2045年〜
ガンダムなど劇中に出てくる色々なネタに対しての感想が多いので、僕はこの劇中で描かれた『未来観』について感想を書こうと思う。
まず筆者は、17歳だ。BACK TO THE FUTURE(以下BTTF)をリアルタイムで見ていない。BTTFを初めて観たのは10歳(2010年)ぐらいの時だ。だから1985年に未来とされて描かれていた2015年の映画内で起こっている出来事に対してこれは出来るな、出来ないなというのがわかった(これは筆者がテックに興味があって、発売されたばかりのiPadを持って日々Gizmodeをチェックするような少年だったというのもあるが)。ただ1985年の人は、未来をこういう風に描いていたんだなとしか思えなかった。しかし今回のレディ・プレイヤー1(以下LP1)はわけが違う。

今は2018年
過去に描いた未来が現在になりまた未来を描く。リアルタイムでLP1を見た僕たちは1985年に2015年を夢に描いたように、2018年から2045年を描くことができる。このnoteでは筆者が淡々とLP1を見た感想と筆者の『未来観』を書こうと思うが、その前にスピルバーグが描いた2015年がどれぐらい正解だったのかを考えていこう。

車は飛ばなかった…
BTTFでされていた主な未来予想
✖︎車が飛ぶ                     
✖︎ゴミが車の燃料
◯テレビ電話
✖︎ホバーで浮くスケボー
◯3D映画
✖︎小さい状態で宅配されてピザがチンしたら大きくなる
◯指紋で支払い
◯喋るジャケット
◯自動靴ひもスニーカー
◯マーティーがしてるスマートグラス
✖︎街中からファックスが送れる

代表的なものはこれぐらいだろう。実現されているものもあれば2018年現在で、実現されていないものもあるし、古いなと感じるものもある。実現率はだいたい半々ぐらいだが、今の世界を支えるのに必要不可欠で登場してないものだってある。インターネットとスマホだ。これはきっと予想できなかったわけではないと思う。あまりにも革新的すぎて想像ができなかったのだろう。つまり何が言いたいかというと、LP1で実現されていたことが実現できない可能性だってもちろんあるし、人間がまだ想像できてないもの(劇中に出てきていないもの)が出てくる可能性だっておおいにあるのだ。

LP1の『未来観』
じゃぁどんなものが実現できて、実現できないのか?何がまだ想像できてないのか?ベラベラ喋っていきたいと思う。

主な劇中未来的出来事
○身体でも体験できるVRゲーム
△完全オープンワールドVRゲーム
○超軽量小型のVR
○ドローンが飛び回る世界
○全方向に移動できるランニングマシン

2018年の僕は、これが意外と実現できそうと考えてしまう(筆者は最近よくARに触れる機会があるというのもあって結構現実味がある)

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ホロレンズ-マイクロソフト-手のジェスチャーで操作できる。装着者は筆者

つまりもう実現できてしまっていることだって結構あるのだ。何が言いたいかと言うとLP1はBTTFより現実性が高い。

VRの世界は遠くない
例えば今回スピルバーグが示してくれた未来「VR」は、BTTFの時に示してくれた様々な物より全然、現実性が高い。だって今の時点でVRはあるし、ゲームだってある。要はこの後どんなゲームを開発するかだけの話である。そんなことより人間がどうVRと関わっていくかを考えよう。

人々とVR
ここまで僕はあたかもLP1が正確な未来であるように、語ってきたがあれは当然、創作物である。しかしひとつだけ劇中で起きていることで、絶対に起きるだろう!と信じられることがある。それは、人々のVRへの依存だ。ここでLP1の設定を引用する。
「2045年。環境汚染や気候変動、政治の機能不全により、世界は荒廃していた。そのため、スラム街で暮らさざるを得ない状況に陥った地球上の人口の大半はオアシスと呼ばれる仮想現実の世界に入り浸っていた。」一語ずつ紐解いていこう。環境汚染や気候変動は、今のままの環境汚染対策を引き延ばすための対策をやっているような世界では、こうなるだろう。次、政治の機能不全により、世界は荒廃していた。これは、本当に起きるかわからないがAIの発達によって職がなくなり、格差が生まれることは予想される(詳しくは、僕のAIについてのnoteを読むことをおすすめします)。そのため、スラム街で暮らさざるを得ない状況に陥った地球上の人口の大半はオアシスと呼ばれる仮想現実の世界に入り浸っていた。これは、世界人口の大半がスラム街に住むことになるかはわからないが、経済的な弱者たちが(そうでなくても)、現実から逃れるためにVRというオアシスに逃げ依存したりすることは、確実に起きるだろう。

人々がVRに依存する世界を描いたLP1が伝えたかったこと
最後にLP1が伝えたっかたメッセージを考えようと思う。これは、映画を見た人になら誰でもわかることかもしれないが伝えたかったことはきっと「なによりも現実(Real)が大事」ということだろう。劇中で主人公の家庭内の描写があるが、VRに逃避しても結局現実世界の生活の苦しさにあえでいる。そして劇中ではどうやらゲーム内通貨が、現実でも使えるようでその中で一攫千金を狙っている人もいて、そのためにゲームに課金をしている。そしてここ(VRゲーム内)でみんな日々のうっぷんをはらし、もはやVirtuallが現実なのである。だから現実がおろそかになって苦しい。どんだけゲーム内が現実でも、ご飯が食べれないと身体が死んでしまう。でもきっとプロのサイバー空間の住人というのは出てくるだろう。しかしこれも、現代のYouTuberと同じように少数に違いない。だからみんないくら仮想現実(VR)の世界が現実よりも優れていて、人との関係も自分の地位も良かったとしても、その空間だけで生きていけるようになるまでは、現実を大事にしよう。現実でしかおいしいメシは食えない。

屋上に🐘買います。