石神遺跡と床舞

「つがる市石神遺跡と弘前市十腰内遺跡の結びつき 一古十三湖の大集落の目印一」 杉山武(アイヌ語地名研究会会員)

 嫁いびりの歌として有名な「弥三郎節」の舞台でもある旧木造町の南隣りであった森田 村は、現在は「木造町・森田村・柏村・稲垣村・車力村」が2005年に大合併し、「つが る市」となっている。木造は、縄文時代晩期の亀ヶ岡遺跡で知られる世界的な遺跡である が、この旧森田村もまた縄文時代前期・中期の頃に形成された石神遺跡は、円筒土器の標 識的な遺跡として有名である。この石神(いしがみ)遺跡は津軽での縄文海進時で、古十三湖(津軽平野 の大部分が海進により、大きな十三湖の中に飲み込まれてしまった)の西岸に形成された貴 重な遺跡である。つまり、青森での三内丸山遺跡と同時代に千5百年以上の長い時間をか けて形成された津軽平野内での遺跡である。
 また、十腰内(とこしない)遺跡は後期初頭から晩期までの長い間に渡って形成された遺跡でもある。 そして、この二つの遺跡は東北地方北部の縄文時代の前期~後期までの編年研究を行う中 での貴重な役割を果たした遺跡でもある。
 これらを含めて屏風山を含めたこの近くに存在する遺跡は縄文海進時の頃、或いはそれ 以降に形成されたものである。
 ここでは、古十三湖の存在と、その範囲を把握することを目的とし、それがアイヌ語地 名で考えることができることの証明にしていきたいと考えている。そのことがアイヌ語地 名の土台が縄文時代に存在し、それが縄文語であり、今のアイヌ民族と北海道・東北地方 の地名に色濃く残っていることの証明にしたいと考えている。
石神遺跡の床舞(トコマイ)と十腰内(トコシナイ)遺跡 石神遺跡の小字名が字「床舞一トコマイ」は「トコム・オマ・イーこぶ、小山・そこにあ る・所」という意味になる。ここは、現在も残っている古十三湖の跡である「状ケ館溜池」 に突き出る半島のほぼ全体に形成された遺跡の大字が「床舞」である。最も高い所は、「状 ケ館溜池」と「小戸六溜池」の境一西側付近であり、標高50mほどである。その場所は 床舞の中の中心部にあり、小さな緩やかな山というより、むしろ丘陵のような感覚に近い。 ここを取り巻く半島の裾野からは、集落・土坑墓・貝塚・配石遺構等が数多く検出されて いる。 この辺に見える溜池の多くは縄文時代の早期・前期・中期における縄文海進時の 海の縁にあたる、絶好の生活環境下にあったのだと考えられる。ここは、古十三湖(津軽湖) の中の大きな集落だったと思われる。海から見れば、この小山は目印となる所である。
 十腰内(トコシナイ)遺跡は、弘前の市役所から北西へ約18kmの位置にあり、昭和3 5年に岩木山麓埋蔵文化財緊急調査によって発掘された縄文時代後期・晩期の代表的遺跡 である。北側には、床舞(トコマイ)の地名がある石神遺跡があり、東側には鶴田町の津軽富 士見湖として観光にも力を入れている廻堰(まわりぜき)大溜池がある。
 この遺跡のすぐ北側には伝次森山(151m)があり、この小山の両や側を2本の小さな 川が通っている。この2本の川は山の北側で合流し一本の川となる。これらの山と川こそ が「十腰内一トコシナイの地名の意味である。「トコム・シ・ナイー小山・大きな・川」と 意味を解釈すると、近くには御月山(205m)もあるが、トコムは小山のことである。また、 「シ・ナイ」とは大きな川とか本当の川という意味であるが、私たちの感覚では1本が2 本になってもさして大きな川にはなっていない。それでも「シ」をつけたのは、大きな川 になったということを強調した表現ととらえた。 2つの遺跡は、同じ川を水源とした時の集落だ! この川が北に2km進むと現在の十腰内集落の中心地となり、さらに北に3km行くと 石神遺跡のある紙ケ館溜池につながる。つまりは、前期・中期の大集落を形成した「石神 遺跡」の人々と、後期・晩期の代表的な遺跡の1つである十腰内遺跡の人々が、同じ川の 水を飲み水等に利用していたことが分かる。2つの遺跡の集落の人々が同じ川の水を使い、 時期が重なる時期もある。湖や外海、山の幸等を求めながら仲良く交流する機会もある、 隣村であったと考えたい。この地名こそが縄文時代から続く地名であると考えられる。 漁労・狩猟を中心に、海を通しての交流を育む 縄文時代早期・前期の頃の津軽平野は、海進時より、現在よりも5m以上も海水面が上 がり、平野部の大部分が湖の底であった。そういった時代にこの地域は、東側も西側も丘 陵地帯でないと安全に生活できず、住んでいた人たちの人口は少なかった。しかし、この 時代の人たちは海・山に活路を見つけ春から秋までの食糧を海や周辺の植物の恵みに助け られ生活していった。航海技術も高まって来る頃には、外海にも出て他地域との交流も行 っている。もちろん、仲間同士や他地域の人たちとの交流するための言葉を互いに有しな がら知識と体験を高めて行っている。
 今は溜池という名の人造池がたくさんあるが、この辺の溜め池は昔の海の名残を残した ものが多い。つまり、大きな湖(古十三湖)の痕跡を残している所の再利用である。

石神と十腰内


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