青森太郎(ソウマ シンキチ)

明治期以後の青森県内の街並・建物・風景写真に関心があり。「青森古写真研究所」を主宰。 …

青森太郎(ソウマ シンキチ)

明治期以後の青森県内の街並・建物・風景写真に関心があり。「青森古写真研究所」を主宰。 青森まちかど歴史の庵「奏海」の会会長、「青森空襲を記録する会」理事。中級「郷土史家」(自称)。太宰治、寺山修司の青森市内での足跡を調査中。

マガジン

最近の記事

青森県民話「矢村の弥助」斎藤くに(1987年3月16日録音)

昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 斎藤くにさんの関係者をご存じの方は、青森まちかど歴史の庵「奏海」(電話017-777-6200)へご連絡をください。縁者の方に音源を聴いていただきたいです。

    • 青森県民話「地獄から帰った4人の男」鈴木政四郎(1983年12月13日録音)

      昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 ※2024年4月2日、鈴木政四郎さんのご家族から、音源の使用許可をいただきました。記して、感謝申し上げます。

      • 青森県民話「焼山峠のガンド退治」鈴木政四郎(1983年9月20日録音)

        昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 ※2024年4月2日、鈴木政四郎さんのご家族から、音源の使用許可をいただきました。記して、感謝申し上げます。

        • 再生

          青森市浪打小学校戦前校舎お別れ会(1990年8月26日)

          昭和初期に、旧陸軍練兵場跡地に新しく開校した青森市立浪打小学校。当時としては、珍しいコンクリート校舎である。恐らくは、大正末期の関東大震災時に、多くの木造学校が焼失したのを教訓にしたと考えられる。 先人の将来を見通す力に驚く。実際、1945年7月28日の青森空襲の際は、焼失を免れ焼失した学校に児童が多く転校してきた。 1990年8月、同校の戦前校舎は60年の歴史を閉じた。コンクリート造りは耐火性に優れているが、長期間使用には意外と耐えられない。

        青森県民話「矢村の弥助」斎藤くに(1987年3月16日録音)

        青森県民話「矢村の弥助」斎藤くに(1987年3月16日録音)

        マガジン

        • 青森空襲証言朗読
          0本

        記事

          青森県民話「わらべ唄」鈴木政四郎(1983年9月20日録音)

          昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 ※2024年4月2日、鈴木政四郎さんのご家族から、音源の使用許可をいただきました。記して、感謝申し上げます。

          青森県民話「わらべ唄」鈴木政四郎(1983年9月20日録音)

          青森県民話「わらべ唄」鈴木政四郎(1983年9月20日録音)

          青森県民話「じぐなしじさま」鈴木政四郎(1982年3月22日録音)

          昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 ※2024年4月2日、鈴木政四郎さんのご家族から、音源の使用許可をいただきました。記して、感謝申し上げます。

          青森県民話「じぐなしじさま」鈴木政四郎(1982年3月22日録音)

          青森県民話「じぐなしじさま」鈴木政四郎(1982年3月22日録音)

          青森県民話「盗人金次郎」鈴木政四郎(1983年1月25日録音)

          昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 ※2024年4月2日、鈴木政四郎さんのご家族から、音源の使用許可をいただきました。記して、感謝申し上げます。

          青森県民話「盗人金次郎」鈴木政四郎(1983年1月25日録音)

          青森県民話「盗人金次郎」鈴木政四郎(1983年1月25日録音)

          青森県民話「長んげ話」鈴木政四郎(1982年11月25日録音)

          昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 ※2024年4月2日、鈴木政四郎さんのご家族から、音源の使用許可をいただきました。記して、感謝申し上げます。

          青森県民話「長んげ話」鈴木政四郎(1982年11月25日録音)

          青森県民話「長んげ話」鈴木政四郎(1982年11月25日録音)

          青森県民話「屁ふりじっこ」鈴木政四郎(1982年10月1日録音)

          昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 ※2024年4月2日、鈴木政四郎さんのご家族から、音源の使用許可をいただきました。記して、感謝申し上げます。

          青森県民話「屁ふりじっこ」鈴木政四郎(1982年10月1日録音)

          青森県民話「屁ふりじっこ」鈴木政四郎(1982年10月1日録音)

          青森県民話「鬼顔になった欲ばばあ」鈴木政四郎(1982年10月1日録音)

          昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 ※2024年4月2日、鈴木政四郎さんのご家族から、音源の使用許可をいただきました。記して、感謝申し上げます。

          青森県民話「鬼顔になった欲ばばあ」鈴木政四郎(1982年10月1日録音)

          青森県民話「鬼顔になった欲ばばあ」鈴木政四郎(1982年10月1日録音)

          青森県民話「キツネのムコ入り」鈴木政四郎(1982年7月22日録音)

          昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 ※2024年4月2日、鈴木政四郎さんのご家族から、音源の使用許可をいただきました。記して、感謝申し上げます。

          青森県民話「キツネのムコ入り」鈴木政四郎(1982年7月22日録音)

          青森県民話「キツネのムコ入り」鈴木政四郎(1982年7月22日録音)

          青森県民話「お盆に生き返った人の話」鈴木政四郎(1982年3月14日録音)

          昭和50〜60年代に、青森県の昔話とわらべ唄をきく会(北彰介会長)が主催し、県内の話者の参加を得て、きく会を30回以上開催したようだ。 今回、青森市会田家から、当時会田さんがカセットテープに録音したものが30数本見つかった。その音源の一部をデジタル化し、紹介するものである。 ※2024年4月2日、鈴木政四郎さんのご家族から、音源の使用許可をいただきました。記して、感謝申し上げます。

          青森県民話「お盆に生き返った人の話」鈴木政四郎(1982年3月14日録音)

          青森県民話「お盆に生き返った人の話」鈴木政四郎(1982年3月14日録音)

          「八戸市の文化施設探訪と青森市の現状」室谷洋司

          奏海の会研修会「八戸ツアー」(2023年10月30・31日)に参加した。今回のテーマは、「八戸の文化施設を探る」である。1泊旅行はこの研修会では初めてのことで、晩秋ではあったが今年一番の日和であった。このような企画は、やはり天気が一番である。欲張って過密すぎるようなスケジュールであったが、終始楽しく八戸を満喫することができた。これもコース設定から案内までつとめてくれた鈴木徹氏の懇切丁寧な配慮があったからで、同氏に心より感謝する。鈴木氏は黒石市在住であるが、八戸市小中野が生まれ

          「八戸市の文化施設探訪と青森市の現状」室谷洋司

          「六戸町にある犬落瀬という価値ある地名について」 アイヌ語地名研究会会員 杉山武

          1.勘違いが多い地名の解釈。  青森県の上北郡にある六戸(ろくのへ)町は、農産物の生産が豊かな人口一万人ほどの町です。その中心部にあたる所に「犬落瀬―いぬおとせ」という地名があります。漢字の意味のまま読むと、犬を下に落とすように命令する野蛮な印象を受けます。それでは、今までの歴史に現れてくる犬落瀬から説明します。 六戸町犬落瀬は奥入瀬川の中流域にある地名で、江戸期から明治22年までは犬落瀬村でありました。昭和30年代のころは六戸町の中でも最も大きな字名の所であり、現在は奥入

          「六戸町にある犬落瀬という価値ある地名について」 アイヌ語地名研究会会員 杉山武

          「雨ニモマケズ・・」賢治の本当の心に触れたくて  杉山武(八戸市在住)

          1.はじめに  宮沢賢治氏(以下氏を省く)の「雨ニモマケズ」の詩は、日本中で誰もが知っているくらい有名である。私のふるさとである岩手県を代表する作家であり、農業・化学・地質学・天文学・音楽演奏活動等を通して人々と交流し、また、宗教活動にも没頭する等、多彩な活動を行っていた。そういった活動を通し、ふるさとの自然を見つめ、周囲の人たちと農業実践を通して触れあうなど、人間味あふれる賢治を感じることを学んできたのではあるが・・・。  私が宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に疑問を持ったのは

          「雨ニモマケズ・・」賢治の本当の心に触れたくて  杉山武(八戸市在住)

          六万の軍勢に耐えた九戸城が持つ秘密とアイヌ語地名

                         杉山武(アイム語地名研究家/八戸市在住) 九戸城を巡る戦いまでのいきさつ 1.わがふるさと二戸市で戦国末に起きた大事件  二戸は元々郡名であり、元は宮野と呼ばれていたそうです。そこに九戸政実が、鹿角鎮定の功により加賜され、自分の領地であった折爪岳の東側(長興寺、伊保内等)より、交通の便のよい馬淵川流域に居を移したようです。(註1) そして、今までの城を修築し堅固な城にし、白鳥城とか、宮野城と呼ばれていた城も九戸城と呼ばれるようになったようです

          六万の軍勢に耐えた九戸城が持つ秘密とアイヌ語地名