20190929記憶の解凍1

「記憶の解凍」渡邉英徳東大教授講演受講記

 青森まちかど歴史の庵「奏海」の会では、2019年9月29日(日)午前に、青森県立図書館集会室を会場に、「記憶の解凍」と題して、渡邉英徳東大教授の講演会を開催しました。東北地方では初となる「記憶の解凍」講演を聞かれた方から、受講記を寄せていただきました。記して、感謝申し上げます。

●40代・男性ー新規追加
 FORD社のトラックとしては、樺太で34台目の、そして、最後の1台となるFORD V8気筒トラックに乗った、30歳頃の祖父の白黒写真が手元に有る。豊原の製糖工場へのビート出荷を主として購入した車であり、当時の樺太ではかなり珍しかった車だったという。加えて、軍隊への食料補給係なども任されていた為、寝る間もろくに無いくらい祖父はこのトラックで樺太の大地を日夜走り回っていた。
 この写真は、樺太引揚時に祖父がソ連兵の厳しい荷物検査をかいくぐって極秘に持ち帰った1枚であり、カラー写真だったらどんな色彩なのだろうかと、運転しながら祖父はどんな景色を樺太で見ていたのだろうか…と、以前から写真を見るたびによく思っていた。
 対向車に追突されて脳脊髄液減少症という難病になり、遺作の覚悟の下、這うようにして始めた開拓史編纂を始めてから10年になる。長い年月と共に記憶からも歴史からも風化して忘れ去られてしまった先人たちの足跡を辿るべく、先人たちの尊厳を守るべく、昭和23年の樺太引揚から現在に至るまでの開拓地や嶽きみの歴史を調べて未来へ遺すべく…。函館まで調べに行ったりしながら、先人たちが、一鍬一鍬、原野を開拓していったように、複数の新聞を複数の図書館でひたすら1頁1頁めくりながら、忘れ去られた歴史を、必死に生きた証を、1鍬1鍬、掘り起こしては編纂し、開拓者魂も取り戻していった。と同時に、開拓地の写真記事を見つけるたび、白黒だけの新聞記事に、過去との距離感を感じていた。
 開拓初期の写真は僅かしかない。樺太引揚時には財産は没収され、無一文に近い状態で戦後入植をした為、勿論、それらの写真も白黒である。現在に続く地続きの歴史であるのに、調べれば調べるほど、祖父母たちが見ていたであろう景色を追い求めれば求めるほど、距離感が自分の中で埋まらなくなっていく。
 2年続きの不作年となった今年度の収穫出荷作業も終わり、開拓70周年の今年中に開拓史を自作で1冊でも形にしようと動き出そうとしていた矢先に『記憶の解凍』講演の存在をメールで知り、その日は仕事を途中で抜け出して会場へ馳せ参じた訳だが、人工知能による白黒写真のカラー化の最先端技術を目の当たりにし、ぶったまげた。鍬を握って人力や牛馬で耕していた開拓地を、昭和30年代に農作業を激変させた耕運機の登場をすっ飛ばして、最新鋭のキャビントラクターで耕しているような…そんな光景に私には見えた。
 衝撃を受けたのは、白黒写真のカラー化による「記憶の解凍」だけではない。東日本大震災による被災者の地震発生時から津波襲来時までの避難行動を可視化した「震災犠牲者の行動記録」にも、ぐいぐい引き込まれた。『遺し方』『見せ方』とはとはどういう事かを、改めて深く深く突きつけられた。目が離せなかった。それは自分の病によるものが多い。この脳脊髄液減少症の身体になってから、それまでの人生は尽く潰され、どんどん動けなくなり、未来も見い出せなくなり、諦めなければいけない事・諦める事ばかりの人生となった。開拓史さえ完成すれば… 私の最後の職人仕事や役目は終わる。その一念だけで、生き地獄の日々をなんとか生きながらえてきた。その先は、無かった。そこまでだった。この身体から一刻も早く開放される事だけが自分の終着点になっていた。
 マッチラベル展がきっかけで『奏海の庵』を知り、老骨に鞭打つ必要もないくらいに氣や情熱を放ちまくる相馬信吉さんや今村修さんと知り合い、お二人を通して未来や次代への『遺し方』『伝え方』などについて考えさせられる場面が多かったが、今回の渡邉英徳先生の講演を通して、改めて、深く考えさせられた。あの時、点った1本のマッチの炎を絶やさぬよう、その先を…少しだけ見据えながら、自分のやれる事・やるべき事に全力を注ぎたい。今回の講演関係者の皆さん全てに深く感謝いたします。ありがとうございました。

 ●50代・男性
 白黒写真をカラー化することは、単に色付けしただけではなかった。「記憶の解凍」というテーマが示すように、かつての日常生活の記憶をよみがえらせる効果があった。
 AI技術で効率よくカラー化できるようになったものの、細部は当事者の記憶を頼りに補正し完成させる。戦時中の悲惨な写真は、当事者にとって思い出したくない記憶(記録)だ。しかし、戦前の白黒写真のカラー化は、原爆で家族を失った人が、悲惨な記憶で封印される前の、幸せだった日常生活の記憶が呼び戻され、まさに凍り付いていた記憶が、解凍されていくのが表情の変化で分かった。
 渡邉先生は、戦災に遭った1人1人が、当時どんな状況で被災したのか、3次元の立体地図に時間経過も加えてPC画面にまとめ、生死を分けた要因を探っている。そのための手法として、AIによる白黒写真のカラー化が有効であることが納得できた。この手法は、さらに多くの目的に応用できる可能性も示していただき感謝している。

●IT機器に弱い高齢者
 講演を聞いた友人は、「来てよかった。世の中の進歩にびっくり。たくさんの人に参加してほしかったね。特に高校生に」と興奮して話す。手際よく映像を流し「白黒写真のカラー化」の目的や意義を説く渡邊先生に魅了され、コンピューター技術の進歩に目をみはった。
 今回は、ワークショップもあった。IT機器が苦手な私は、参加に躊躇していた。案の定、WiFiの設定やQRコードの読み取り、白黒写真をスマホに保存する、などの入り口で躓き、右往左往。隣の学生さんはすでに終了している。お願いし、躓きの解消法を教えて頂いた。カラー化のアプリを取り込むと、後はスイスイと進む。アプリは分かり易くできている。色のついた写真を見せ合い話がはずむ。
 今回の世代や地域を越えた交流は、最前線の高度な知の世界を身近なものし、思いがけない人の繋がりを生んだ。青森でこのような催しが開かれたことに感謝したい。

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