35歳から42歳までの不妊の記録③



36歳から37歳 妊活頑張り期

初めての病院通いは不発に終わって、それを思い出さないようにするために仕事に打ち込んだ。
夫も私も問題はないのだから毎月自分たちで頑張った。
でも、周りから妊娠のおめでたニュースが届くと心がざわついた。お酒を控えてている同僚を見ては、妊娠してるのでは?と疑い、友達の出産祝いは仕事を理由に欠席していた。元から仕事一筋で、付き合いが悪かったことから縁が切れなかった友達もいるのがありがたいが、この数年で子持ちの友達とはほとんど縁が切れた。
私は趣味が山登りやフェスや遠くのカフェ巡りだったので、子持ちの友達とは付き合いにくい。生まれた子供を見に行っても、話すことは出産子育て、手土産に並んで買ってきたケーキを、母になった友達は味わう暇なくオムツ変えや授乳に追われている。ハッキリ言ってしまえばつまらない。何のために休日潰して来たんだろうな、と帰り道に思ったりもした。

36歳になって半年経ったころ、再び重い腰を上げて病院に通うことを決めた。今度は体外受精に力を入れているが妊娠出産までできるクリニックにした。ここでも不妊治療専門のクリニックと迷ったものの2019年当時はまだ保険適用前で、たまに噂で聞くのは不妊治療で数百万飛んでいくのが普通だった。私も体外受精までできる病院にしたが、人工授精くらいでできるんじゃないのかなとここでも軽く考えてた。

このクリニックは一年ほど通った。1軒目の病院で行った検査をもう一回やらないといけないのが鬱陶しかった。卵管造影の検査で卵管が片方詰まってしまっていることが分かったが、妊娠には問題ないということが分かった。

今回の妊活は本気で仕事より治療を優先しようと決めていたので、会社には時短を申し入れた。それでも妊活とは言いたくなかったので、あくまで体調不良ということにした。

この真面目に妊活していた一年がほんとにしんどかった。すべてが宙ぶらりんで、仕事も中途半端、私生活もただただ妊娠するためだけに捧げているのに毎月毎月血を流してはガッカリ。
時短にして夕方の通院で何とかやりくりしようと考えていたが、午前に通院しないといけない治療もあり仕事も月に何度も突然穴を開け、体調不良ではもうどうしようもなくなって来た。
一年近く通い先生に体外受精したいと伝えた。
卵管が詰まっている月は、人工授精はできないため、タイミングだった。そして、右左で交互に排卵するのかと思っていたら卵管が詰まっている右でばかり排卵してることが分かった。なのでこの一年通院しながら人工授精できたのは2回だけで他は虚しいタイミング方だった。

体外受精をすると決めたらもう会社との両立は無理だと思い、退職願いを出した。
有休消化もあるので3ヶ月後に退職することになり、病院はお休みすることにしたら、退職日の2週間前に妊娠したことが分かった。37歳になっていた。産休育休欲しい、、退職取り消したい!と思ったが課長と折り合いが悪くお願いするのが嫌だったので何も言わずに辞めた。
妊活止めると妊娠するって言うけどほんとにそうなってしまった。

今思えばこのクリニック、体外受精やりたくなかったのかなと思う。37歳で1年もタイミングと人工授精だけ。こっちから言い出さなければ体外受精に進まない。
同僚にはこのクリニック進めるか迷う。悪い先生でも病院でもないけれど、のんびりしている。


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