昨年の11月に沖縄に行ったこと 2

(続き)
4  辺野古
24日は、朝7時発、平和市民連絡会さんのバスに乗って辺野古へ。前日にMさんがバスの予約をとってくださり、発着場所等も教えてくださったので迷うことなくたどり着けた。

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物見遊山ではないつもりだったが、車中で自己紹介を促された時、何故来たかをうまく説明できなかった自分はかなり情けなかった。

辺野古の米軍基地建設に反対!と思ったのは、ジュゴンのことがきっかけかなあと思う。20年前くらい。静岡に住んでいた時にアースデーのイベントか何かで辺野古のことを知るようになった。そのあとしばらく辺野古について殆ど情報のない時を過ごし、2009年にもろさわ先生を沖縄に訪ねて、「辺野古には行きましたか?」と尋ねられて以来、問題が身近になった。その頃から10年ほど九州に住んでいたことも関係があるかもしれない。新聞でも沖縄のことがよく取り上げられていた。

(↓その昔に買ったシールと今のリーフレット)

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ところで、2009年には、平和の礎や平和祈念資料館、佐喜真美術館にも行ったが、初めて「志縁の苑 うちなぁ」にも行った。もう40年くらいも前、長野の「歴史を拓くはじめの家」(今は「志縁の苑 はじめの家」という名前になった)で見聞きした元女子学徒隊だった女性からの沖縄戦の話、素晴らしい琉球舞踏、当時の沖縄女性の一大ムーブメントであるうないフェスティバルの話、をありありと思い出し、さらに中に入ると、、、。(またの機会に書くかも)志縁の苑 うちなぁ、心に残る場所。

バスは順調に走って、予定通りの時刻に辺野古に着いた。最初の土砂搬入が9:30ということで、それに間に合うようになっているとのことだった。

(↓テント設置禁止の立て看板が!)

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(↓キャンプシュワブの入り口)

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座り込みに来ている人々は、Mさんはもちろん、みな力強く明るかった!土砂搬入阻止の座り込みの時は緊張感で張り詰めた雰囲気だったが、待機している時間は埋め立てについての講義があったり、歌を歌って盛り上がったり、水曜日はスペシャルデー的な感じで食べものの差し入れもたくさんあったりで、緊張を支えるすごい力みたいなものを感じた。60代以上の人が多いように思えたが、20代くらいの人もいた。また、日本人だけでなく、一見して外国人に見える人もいた。

(↓こんな人も来た。視察っぽいが来るだけよしと)

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英語の模様付きTシャツってどうなの?と思っているうちに服を持ってくるのを忘れて前日ショッピングモールに買いに走ることになったのだが、考えてみれば基地建設に反対してるだけなので、見当違いな悩みをしてしまった。

結構高齢に見える外国人の男性は、英語のたしか炭鉱労働者の労働歌を歌ってくれた。(曲名は忘れてしまったが、クレメンタインではなかった。)

クイーンのWe Are The Championを歌った男性もおられた。11月24日といえば、フレディー・マーキュリーの命日だなあと思いながら聴いていたが、その件については場違い感を醸し出したら申し訳ないので話題にしなかった。

とにかく、歌も楽器演奏もみなさん素晴らしく上手で、それだけに心に重く響いた。

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土砂の搬入の時間近くに搬入口の前に座る。座っている後ろには民間の警備会社の警備員が並ぶ。ほどなくして何十台かの大型トラックが道路沿いに並ぶ。そうすると、警察の人々が現れ、座っているみなの前に並び、白いステッキを持っている隊長のような人から、交通の妨げになるので反対側の歩道に引き揚げるようにとのアナウンス(というか警告というか)が何度かある。最終警告ですという警告の後、強制的に排除される寸前で退くが、抗議のシュプレヒコールは続け、トラックの運転手に向けても、このような仕事を受けないでと呼びかける。

トラックが全て中に入りゲート前に警備員の人々が並ぶと、再度その前を行進しながら抗議のシュプレヒコールをして、ワンクールが終了となる。

これが1日3回、月曜日から金曜日まで続く。ずっと誰かしらが来てもうずっと続いている。

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(↑意外と写真も動画も撮り放題な感じだったが、そこはもちろん監視カメラも何箇所もあるし、写真中央後方の車は警察の車のようだし、ということできっちりチェックされていて、何かあったら何かあるのかなあと。でも、そんな何かがないようにという視点ではこれまで生きてきているので、これからもそう生きるし、もし何かあったらそれはそれで一応闘うつもりではいる)


最初ひとりでくるつもりだったが、Mさんと同じ日に来ることが出来て本当によかった。ひとりだったらぼーっとしてるだけだったかもしれない。それに、ゲート前のテントだけでなく、海岸にある「浜のテント」のほうにも案内していただけた。

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綺麗な海とのどかな景色にも見えるが、立ち入り禁止を示す柵があったり、

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ひねもすのたりのたりかなに見える舟は、見張りだったり、緊張する光景に見えだす。

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2019年9月の辺野古と基地を採り上げたNHKの番組で見たが、地元に住む人々の生活と思いは複雑だ。土砂搬入の仕事をしている人々も同じだと思う。でも、少なくとも心は基地建設阻止を願ってほしいし選挙で投票もしてほしい。

ゲート前の道路は一般車両も通る道路だが、シュプレヒコールや座り込みに向けて、車の中からガッツポーズで連帯を示してくれた(そういうふうに見えた)人もいた。

警察の人々は、黒いサングラスにマスクなので、全く表情はわからないが、警備会社の人たちはサングラスをしていなくて、私は睨んだつもりはなく何気なく見つめただけなのだが、私の前に立っていた警備員の人は目がきょときょとして落ち着かないふうだった。

浜のテントにおられた人からは、辺野古の基地建設に関しては、いくつも裁判も抱えているというお話も聞いた。行政学上注目されている部分もあるとのこと。ちょうど行政法を学んでいるところなので、詳しく勉強してみたい気になった。

たった1日だったが、緊張し過ぎてちょっと疲れた。でも、今回辺野古に来てよかった。2015年の志縁の苑 うちなぁの20周年のつどいの時の辺野古は、時間の都合もあり、あまり長居は出来なかったようだ。それを聞いて、その時行けなくて残念に思っていたのだが、6年後でも、1日だけでも終日辺野古にいることが出来た今回は私にとってとても貴重だった。

Mさん、本当にありがとうございました!!

辺野古の新基地建設が阻止できるよう心ではいつも思っていても、実際の行動はできない。でもまた、行けることがあるなら3月4日、三線の日にと思う。

2021年11月は10月に沖縄の高江への機動隊派遣が違法という名古屋高等裁判所の画期的な判決が出たすぐ後だった。3、4日いる時に人身事故はなかったけど米軍のヘリコプターが何か落としたっていう事件があった。その後も辺野古のことはもちろん、他にもいろいろなことがあっている。沖縄の日本復帰50年の今年2022年がよい年になりますように。





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