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自身をメディア化すること - 週末の振り返り(2024年5月19日)

金曜日の夜、上記のような投稿をした。発信すると面白いように色んな反応がある。IT批評家の尾原さんからメディア化のノウハウお伝えしますよ、という声があったり、想定外の展開が生まれつつある。

ここでいう「メディア化」とはなにか?を言語化すると、自分自身が媒体となり、色んな物事をつなぐ役割をより果たしていこうというもの。決して、単にメディア露出をたくさんしていこうというものではない。

日々色んな変化が起きる。この1週間でChatGPT-4oが出て、世界がより変化がする流れが起きる。事業にとって、個人にとってプラスになる側面もあれば、一歩間違えるとすべてが瓦解するぐらいのインパクトがある。

それらの変化に対して、1人の人間がすべてをキャッチアップできるかというと、それは難しい。同時にそういった情報を得たとしても、いい意思決定ができるかというとそうではない。またいい意思決定ができたとしても、それが実行できるかどうかはまた別の次元の話になる。

メディア化するというのは、自分自身が実現したいビジョンや意志を磨きながらも、そこに対して「自分が」というものを消す行為であり、同時にそれができるように適した人やお金を集め、適切にマッチングする行為である。そのためには、機会と人やお金の獲得のための認知及びマーケティングが重要になる。

今週も仕事をしていて、どうしても「自分が」となってしまったことがあった。特定の案件のプロジェクトがあって、自分自身がネクストアクションを示しきれず、同時にアイディアを考えても出ない状態があった。その時に、僕自身は自分だけが考える必要はなく、できる人に相談したり、またそれが実現するチームをつくることに力を注いだ方がよい。もちろん、時には率先して自分が手を動かし、形にする必要もある。

メディア化する上でも、「自分」に対する執着や渇望への反応を減らすことが有効だと思う。「自分が」となると、周りを見えなくなり、適切にマッチングできない。同時に周りからの反応への渇望が強くなると、本来果たしたい目的に向けてではなく、自分の承認への行動ばかりになり、結果大事なことを見失ってしまう。心の安定も難しくなるだろう。

僕自身の特性とヴィパッサナー瞑想の実践、そして今後実現したいことがきれいに繋がりつつある。この感覚を忘れないためにも、ここに書き留めておきたい。その感覚を忘れないためにも、日々瞑想を欠かさずに頑張りたいと思う。

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