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自分自身が作った「わたし」 - 週末の振り返り(2024年5月26日)

今週も怒涛の如く過ぎていった。

世界一周にいくことをオープンにし、100人近くの人からコメントやメッセージをもらった。想定外の反応と仕事の準備や航空券の購入が相まって、週末になってようやく個別でのやり取りが進んだ。

こういった新しいプロジェクトを掲げるのは正直怖さもある。
受け入れてもらえるだろうか、批判されないだろうか、と。
会社を作るときは、この何倍もの恐れがあったのを今でも覚えている。

ただ、それも僕自身が作った「わたし」に囚われているのだと思う。
自分はこういう人ではない、こういう人であるという自身のバイアスが行動を制限してしまう。
そういう恐れや恥ずかしさを感じたとき、すぐに反応して体を硬直化させるのではなく、ただただ客観的に自分の感情を観察してみる。

そうすることで、その恐れや恥ずかしさは自らが生み出していることに気づく。観察を続けていると次第に、自分が作った「わたし」から徐々に解放されていく。これも、先日の10日間のヴィパッサナー瞑想で学んだことである。

自分が勇気を出して、思いを込めて取り組んで見たことは、共感してくれて応援者が集まる。そして、意外の人がこっそり見てくれていて、時として手を差し伸べてくれることがある。一方、応援されるだけだと気持ちが重くなるので、しっかり受け取ったGIVE以上のGIVEを返していきたいという思いも強い。

大学時代から「積極的な受け身」という言葉が好きだった。
能動的に動きながら、旗を立てながら、そこで生まれた流れに対して受け身である考え。その流れで生まれた機会や縁を大事にして、物事を前に進めていくというもの。

今週、お話した方が、「完全な受動性」という言葉を話していた。
目の前のことを受け止めて、咀嚼して、判断する。いきなりラベルをつけて判断するのではなく、まずは、あるがままを受け入れる。

人は生まれた時は、自我がない。
徐々に成長するにあたって、自我が生まれる。

「世界があって、自分がある」という考えから
次第に「自分があって、世界がある」に変わる。
でも、その考えには限界がある。

自分自身が作ったバイアスに囚われてしまい、視野が狭くなり
「自分が自分が」となってしまうことで、できることが限られてしまうからだ。

今回の旅は、自分自身がが作った「わたし」を拡張する行為になる。
世界との関わりを通じて、「わたし」の変化を観察する1ヶ月にしたいと思っている。


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