エンターテインメントハラスメント

少し前に「エンハラ」という言葉を目にした。エンハラ?何の略語だろう?エンターテインメントハラスメント?と思い調べたら「エンジョイハラスメント」とのことだった。人が楽しんでいる姿を苦痛に思ってしまうことを指すらしい。でもその意味なら、エンターテインメントハラスメントもある意味間違っていないのではないか、と思う昨今。

昨日MUCCのツアー日程の中野公演以降の延期が発表された。妥当な英断と思った。むしろ中止でなく延期で良かったとも。
渋谷以来、刻々と変わる情勢の中、この情勢下で茨城でファイナルを行うことを疑問視しずっと気に病んできた。メンバー、スタッフの思いはそれ以上のものとお察しします。これはファンというよりひとりの地方民としての意見。
しかしこの判断に「なんで?」という声がかなりあがっていることに驚いた。東京を蔑ろにする気はないけれど、都会と地方で同じ医療が受けられると思わないでほしい。医療体制が全く違うし医療機関の数も都会と地方では雲泥の差がある。さらに医療費も全然違う。自治体によっても違うと思うけれど、自分の住んでいる自治体はまず緊急で医療機関を受診するだけで3000円がかかる。医療費とは別に3000円取られる。そして緊急で受診すると高い医療費を取られる。それにさらに別途3000円だ。以前、違う自治体に急患でお世話になったところ、3000円を取られないどころか医療費が自分の住んでいる自治体とは医療費が破格に安くて驚いた。そのときは税収があるところと少ないところでは医療費がこうも違うのかと思った。今思えば病院の方針もあるのかもしれない。全部自分の実体験。元気な人は医療費と聞いてもピンとこないのかもしれない。けれどここまで読んできて、それでもこの情勢下で地方行きたいですか?

茨城は行ったことがないから医療体制がどのようなものなのかは分からない。けれど同じ地方民として、うちの自治体と同じようなものではないのかな、と思う。そりゃあMUCCの誕生の地、メンバーの出身地だからファンにとってもメンバーにとっても思い入れの深い地の茨城でファイナルを行うことが意味のあることなのは分かりますよ。けれどそれ、会場付近に住んでいる人たちに関係ありますか? 全国から人が大勢集まってくる、それも開いている医療機関が少ないゴールデンウィークに。会場付近をGoogleマップで調べたところ、駅に近いということしか分からなかったけれど、それでもゴールデンウィークに全国から人が押し寄せてくる。そう考えただけで憂鬱だったりストレスを抱えていた方は少なからずいたのではないだろうか? 声を上げられないだけで。

先日、ゴールデンウィーク中の「全国ノーマスクピクニック」がネットをざわつかせた。これについてはここで深く言及する気はないので各自で調べてほしい。ただ一つ言わせてもらうと、いつからピクニックとデモはイコールになったんだ。そして言葉を選ばずに言うと、ノーマスクピクニックもライブも、その開催地に住んでいる人たちからしてみたら似たようなものではないかなと思う。ノーマスクピクニックとライブを一緒にするな、こちらはマスクちゃんとしてるし!というお叱りの声を受けることは覚悟の上。けれど、地元に住んでいる人たちが安心できないかもしれない情勢下でライブを強行するのは違う。というのが自分の考え。これについては地元の人たち全員が同じ考えではないだろうからひとくくりにしてしまってはいけないだろうけれど。

そして、このツアーで勇退する予定のメンバーのメンタルを心配する声も多く見かけた。けれど本人が大丈夫、やるって言ってるんだから大丈夫でしょ。そこは信じるしかない。信じないのは気の毒。それにあとからでもダメだったらダメって言える人でしょ。その人の何をこれまで見てきたのかなと思ってしまう。

今思えば渋谷のライブ後に、会場内にまだ入場できていない人たちがいたにもかかわらずスタッフ間の連携がうまくいかず定刻通りライブが始まってしまった不手際の謝罪が発表された。その際にも「定刻開演の何がいけないの?」という声が多くあって驚いた。自分さえ良ければそれでいいという人が増えたと思った。日本の学校教育の賜物だとも。(もちろん皮肉です。)渋谷が4人のMUCCを見れるラストチャンスだったという人たちもきっと大勢いたことだろう。それがオープニングから見れなかったらと考えると、自分がその立場だったらと想像するだけで精神的に結構キツい。またメンバーの立場だったらと考えるとスタッフぶん殴ってると思う。「他のバンドはそういうことがあっても定刻通り開演してる」という声も見かけたけれど、よそはよそ、うちはうち。MUCCはMUCC。4人が良しとしなかったその意見を尊重したい。逆に4人が良しとしなかったことをファンが「定刻開演の何がいけないの?」と言ってしまうことはメンバーがバンドを続けるか否かのモチベーションにも繋がってしまいかねない。個人的にはメンバーのメンタルを心配するならそこだと思った。これも自分の実体験。

昨今のライブの中止または延期理由のひとつに「ファンの人たちが感染を気にしてライブを楽しめないのなら今はまだライブをやる時期ではない」というのが多く見られる。(文章はこの通りではないです。)でも「近隣住民のみなさんにも安心していただける状況が整うまで」という理由で中止したライブはまだ知らない。自分が知らないだけかもしれないけれど。正直、ライブハウスを蔑ろにするわけじゃないけれど、ライブハウスだったら繁華街にあることが多いしその点ではライブ決行を受け入れられたかもしれない。けれど住宅街にあることも多いホールで、この情勢下でライブを強行することが、バンドとファン、その地元に暮らす人々、双方にとってプラスになるのかとずっと気に病んでいました。

そこで思い浮かんだのが冒頭の「エンハラ」です。

「なんでもかんでもハラスメントつけて」という意見もネット上で目にしました。けれどハラスメントというのはそれを苦痛に感じる人がいるから存在する。今この情勢下でエンターテインメントを楽しんでいる人たちのことを苦痛に感じてしまう人たちがいる。そういった人たちが存在する中で、じゃあこの情勢下エンターテインメントをやる必要性があるんだろうか? COVID-19を国内で完全に押さえ込むまでエンターテインメントは再開しない方が良かったのではないだろうか? そんなことをいちファンの立場ながらこのところずっと気に病んでいます。もちろんどの分野のエンターテインメントも政府のガイドラインに沿って開催されていることは知っています。エンターテインメント産業が慈善事業ではないことも知っています。だから綺麗事ばかりは言っていられないことも。けれど、人が楽しむ姿を見て苦痛に感じる人たちが出てきてしまったこの情勢下で、じゃあエンターテインメントをやる意味って何だろう? そう考えてしまうわけです。人を楽しませるはずのエンターテインメントがけれど人にとって苦痛にしかならないのならエンターテインメントのある意味って何?

少し前に大阪の医療体制が今どうなっているのかというネットニュースを見ました。そこで初めて知ったことですが、COVID-19の患者の治療にあたっている医療従事者の方たちはこの一年ずっと休みもなく患者の治療のために働いている。家族への感染を懸念しマンションを借りて生活し自宅に帰ることさえもままならない。休日に友人とのんびり過ごすこともできない。そして一番驚いたのは、COVID-19の患者の治療はずっと同じ医療従事者の方たちが担当しているということでした。恥ずかしながらその記事を読むまでずっと同じ医療従事者の方が治療にあたっていることを知りませんでした。てっきりローテーションを組んで交代制で治療に当たっているのだろうと思い込んでいました。病院にも他の病気の患者がいる中でCOVID-19の患者の治療だけにあたるわけにはいかない。そうした理由からなのかもしれませんが、当初はここまで長引くとは誰も予想していなかったのかもしれません。

そうしてこの一年休みなくCOVID-19の治療にあたっている大勢の方々やそのご家族がいる中で、その一方でエンターテインメントを楽しんでいる人たちがいるという事実。医療従事者内の不平等も気にかかりますが、そうした方たちからしてみると、エンターテインメントを楽しんでいる人たちに苦痛を感じるようになったというのも理解できますし、エンターテインメントそのものを楽しめなくなったというのも理解できます。社会というものは不平等。そうした情勢下でじゃあエンターテインメントの役割って何だろう?と考えてしまいます。3度目の緊急事態宣言が出て、しかしエンターテインメントの灯は絶やさないという人たちは、自分の目には意固地になっているようにも見え、見ていて怖くなります。先にも書きましたが、エンターテインメント産業は慈善事業じゃない。正解なんてない、この情勢下の中で、少しでも多くの最悪の可能性を減らしていくしかない。不要不急は人ひとりひとりがそれぞれ決めることと思っています。けれど今ここでエンターテインメントを強行することは、そのひとりひとりからエンターテインメントは不要なものと判断されてしまうのではないか。そのことを危惧しています。不要不急ならまだ良かった。エンターテインメントが多くの人にとって不要なものになってしまったらそれではもうダメなんです。世の中にはエンターテインメントを必要とする人もいれば元々必要としない人たちもいる。そこでお互いの立場を理解し合えることができていないままこの情勢下になってしまった。お互いの立場から意見を一方的に言うだけで議論さえできていない現状。そんな情勢下でエンターテインメントが不要なものとされてしまわないかを一番危惧しています。

もうひとつ気にかかるのは、3度目の緊急事態宣言で国のトップが頭を下げる事態となったのに、それに応じていない人の多さ。正直土下座でもしてもらわないと溜飲が下がらないという人たちも多くいるのかもしれませんが、そんな異様な光景は見たくない。海外からは奇異の目で見られるでしょうし、それでも応じない人は大勢いるでしょう。この情勢下が与野党ともどもの政治家の失策に原因があると思っていますし、政治家たちが今年中に選挙を行うとにおわせ出したあたりからCOVID-19の新規感染者数は右肩上がりで急速に増えていきましたが、なぜマスメディアはどこもそこに突っ込まないのか。選挙するお金があるなら給付金出せと憤りました。そして尻に火がついたとようやく自覚したのかここに来て急速な緊急事態宣言の発令。東京の繁華街のネオンを消せとかあれもこれも場当たり的で横暴です。COVID-19の収束より確実なのはCO2の排出量が減ることでしょう。しかしそんな場当たり的な緊急事態宣言でもやらないよりはマシ。以前の記事で「政治やってますだけのパフォーマンス」と書きましたが、パフォーマンスでもときに必要なことを知りました。そして今一番懸念していることは、国のトップが頭を下げても国民は応じないというところまで来てしまったということです。政治家たちは気づくのが遅かった。COVID-19の感染者数を拡大させないということは一年以上も前からとっくに国民はやっていることです。そして国のトップが頭を下げても国民は応じないということは、今この国を統率できる人は誰もいないのではないか。そこを懸念しています。この国はもはや船頭のいない泥舟なのではないか。考えただけでも恐ろしい。そうなるとさらに恐ろしいことが起こって、エンターテインメントどころではなくなってしまう。そこを一番危惧しています。

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