「いってきます」「いってらっしゃい」が言えるまで

万感の思いが込められたライブだった。

それがMUCCの今ツアー中野公演をインスタライブ配信で見た感想だった。

万感の思いとはああいうことを言うんだろう。ライブが進むにつれ尻上がりに迫力を増す、メンバーの鬼気迫る感じ。
すごいライブを見ている。ライブ中にすでにそう思った。
全公演見たわけではないがそれでもこの日がこのツアー一番、いやこれまでのMUCCのライブで一番のベストアクトだったと断言できる。
本編ラストの「スピカ」で、それまでこの日やや不調気味に感じられた逹瑯さんの高音部が復活、それどころか自分が見たなかで一番歌がキレッキレだったのがドラマチックだった。

これを書いているのは2021年10月1日。あさってをもってSATOちさんはMUCCからいなくなってしまう。
正直文を打つだけでもつらい。
この再々々延期までの期間は必要な猶予期間だったと思っている。ファンにとってもメンバーにとっても。
SATOちさんに「いってらっしゃい」と言えるまでの。

ベスト盤『明星』のリリース日と同じ日に発売されたPHY Vol.18で逹瑯さんがMUCCの24年間の歳月を「家族でいったら子供が独り立ちする時期」みたいに話していた。
言葉を借りると、MUCCという家からSATOちさんが独り立ちすることになる。

去年の自分が書いた『惡』のディスクレビューを読み返したらその中にこんな文があった。(引用するにあたり原文より一部を修正しました。)

(前略)
“この「スピカ」という曲はMUCCを続けていくことへの決意表明のようだと思ったから。”
"いいよ 今は涙枯れるまで ずっと
泣いても いいよ おかえり
君のいたこの場所はずっと変わらないよ"〈スピカ〉
“ここで歌われている〈この場所はずっと変わらないよ〉という歌詞。
「この場所」とはMUCCのライブのことを指していると解釈したし、「おかえり」は何らかの事情でMUCCから離れてしまった人たちを、またいつ、どんなときでも迎え入れるよという優しい言葉。 そして「ずっと変わらないよ」はMUCCを続けていくという決意表明だと解釈した。
最後の〈世界に 輝く星の雨が降り注ぎますように〉という歌詞が逹瑯の優しい歌声も込みで好き。”
(後略)


過去の自分がすでに答えを出していた。
しかし当然当時の自分は知る由もない。このあとに起こることを。

昨年末、武道館で今ツアーの日程が発表されたときは驚いた。
ツアーファイナルを茨城、それも2DAYSでやるということに。
正直言って「やれんのか!?」率直にそう思った。このご時世下で、この時期に。
ツアーファイナルを茨城で行うことについては日程が発表されてからもつい最近までずっと疑問に思っていた。
最初に延期になった時点で「振替は10月だろう」。そう思っていた。しかし意外と早い振替日程が発表されて驚いた。
「振替は10月」には一応根拠があった。昨年10月に有観客ライブの予定があったアーティストは自分が知る限りほぼどのアーティストも予定通りライブを行うことができたから。
8月に再び振替日程が出たときは「今じゃないだろう」と思った。そこまでしてツアーファイナルを茨城に固執する理由って何だろう。そこまで思い悩んでしまった。茨城出身の彼らが、いやだからこそ、茨城でツアーファイナルを行うことに意味があるのはわかっているつもりだった。でもそのタイミングは「今」ではないのではないか。そう考えて公式にリプライを送ってしまったこともある。
それに茨城でライブを決行することで、茨城の親善大使もつとめる彼らの立場が悪くなってはしまわないだろうかとまで思い悩んでしまった。茨城でのMUCCの立場が悪くなるのは嫌だ。

でも結局バンドの結論はあの4人が決めてほしい。自分はただのひとりのファンにしかすぎない。あの4人が出した決定ならそれに従うのみ。
意地悪なことを書くと、仮に40歳過ぎたいい大人が4人して自分たちのバンドのことなのに何も決められないようじゃ困る。人として。
MUCCがそのようなバンドじゃないことはわかってる。決めるのはいつも4人。今までも、そしてこれからもバンドのことを決めるのはメンバー主導であってほしい。そこに自分含めファンがとやかく口出す権利は本当はない。
ファンとはいえメンバーの人生にまで口出す権利はない。

「人生」。
そう、メンバーは人生をかけてMUCCをやっているんだ。そのことに思い悩んだ末にようやく気づいた。
そのことに気づいたきっかけは何だったか。つい最近のことのはずなのにもう思い出せない。
人の人生に誰が口を挟めるだろうか。

先日発売されたPHY Vol.19のミヤさんインタビューの中でも「人生」という言葉が何回も登場していた。
人生をかけてMUCCをやっていく気持ちの表れ。そう解釈した。
この記事を読んで自分が思い悩んだ末に出した答えはやはり間違ってなかったんだと思った。

同時に、自分はメンバーが人生をかけているものに対して、すごく失礼なことをしてきたんじゃないかと、今度はそのことで思い悩むようになった。それは今も続いている。
だからせめて、茨城のライブが成功してほしい。頼むから、お願いだから成功してほしい。
メンバーが人生をかけてきたものだから。

そのための、せめてもの罪滅ぼしとも呼べない「ムッカー6ヶ条『おかしのいえ』」


安心できるMUCCという家からSATOちさんが独り立ちする。
読む人によってはすごく酷な書き方をするけれど、SATOちさんの人生はSATOちさんのもの。
SATOちさんにだってMUCCでない人生を選ぶ権利はある。
他のメンバーにだってある。
ムッカーがムッカーでない人生を選ぶ権利があるのと同じように。
人の人生はその人自身のもの。
他の誰にも決められない。
自分自身の人生を他の人に決めさせてはいけない。
他の人間をが口を挟めることじゃない。


 “謡え 笑え”

「明星」の最後にあるこの歌詞は、きっと住み慣れた安心できるMUCCという家から独り立ちするSATOちさんへの3人からの「いってらっしゃい」であり、またSATOちさんから3人への「いってきます」ではないだろうか。
きっとこの5ヶ月間はお互いに「いってきます」「いってらっしゃい」が言えるまでの必要な猶予期間だったんだ。ファンも含めて。そう思うことにした。

……などと、ここまでものわかりが良さそうなことを書いてきたけれど、だからってそう簡単に割り切れるものじゃない。
それでもやっぱりまだ胸は痛むけれど。

SATOちさんは「MUCCのライブを見るのが夢」と雑誌で話していた。
きっとSATOちさんだけに限らず、何らかの事情でMUCCから離れてしまった人たちを、またいつ、どんなときでも「おかえり」って迎え入れてくれるんだろう。

「いってらっしゃい」「いってきます」

わたしはそうやってMUCCの新たな門出を送り出せるだろうか。謡いながら、笑いながら。




2021/10/01 大幅に加筆修正、更新しました。

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