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違和感こそが、磨き石

ある木工家具職人さんの話。

木を切り出して、椅子をつくる。ノコギリでカットして、椅子の脚や、背や、座板をほどよいサイズに。そして、カンナやヤスリをかけて、表面をなめらかに。おおむね、いいカタチになってきたぞ、というところで、組み立てた椅子を撫でてみる。いい椅子かどうかは、触ったり、座ったり、撫でたりすれば、わかるらしい。

そこで自分の手元に「うん?何か違うぞ?」という違和感があったら、もう一度そこを見つめ直して、カンナやヤスリをかけ直すんだって。そして、もう一度、撫でる。「うん、もうすこし」といって、またヤスリをかけ直すらしい。そして、自分自身が違和感なく撫でることができたものが、ようやく世の中に出て行く。

もしも、比較的早い段階で「まぁ、こんなもんでしょう」と手放してしまったら、ちょっと雑な椅子を世の中に出してしまうことになる。自分の手が違和感を感じてくれるから、どこを磨けば、もっといい椅子になるか、わかる。だから、「違和感こそが、磨き石」。その違和感を手放しては、いけない。むしろ大事にしないと、ステキな椅子をお客さまに届けることは、できない。

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僕も自分の椅子をある木工作家さんにつくってもらったことがある。その作家さんの作品は、いずれも手触りがよく、ずっと木肌をさすっていたいようなしあがりになっている。毎日触れるものが、肌触りよく、ずっと撫でていたいものだとしたら、それは本当に幸せなことだ。この写真は、その木工作家さんにいただいたカッティング・ボード(まな板)。このまな板のカーブを触っているだけで、実に幸せになれる。


優れた家具職人は、自分の手の違和感を信じている人だと、思う。


自分自身が「なんか違うな」と思ったり「これでいいのかな」と感じる体験は、誰しもあるんじゃないかな。そんなとき、忙しさやまわりの圧に流されて「でも、まぁしょうがないか」と流すのか「いや、これは違うよ!」と流さないかで、その人の仕事ぶりは、大きく変わる。

僕はファシリテーターという仕事をしていて、いろんな会議やワークショップの進行役をしています。

このあいだ、オンラインでファシリテーションしているときに、なんか違和感があった。場は前に進んでいるが、「うーん、なんか違うぞ」と感じるものがあった。でも、その場では、うまくそれを咀嚼したり、処理できずに「まぁ、いいや、前に進もう」と思って進めてしまった。が、あとから、それがトラブルの元になった。「あのとき、私が言いかけていたのに、聞いてもらえなかった」「押し切られた感じがあった」「ファシリテーターの圧が強くて自由に言えなかった」と、あとから言われたときに、僕は赤面した。もしもあの「なんか違うぞ」と感じたときに、もう少し丁寧にヤスリをかけにもどっていたら、こんなことには、なってなかった。そういう失敗を、何度も何度も、繰り返しながら、僕は少しずつ成長しています。


みなさんの、職場や家庭や地域でも、ちょっと違和感を感じるときがあるでしょう。すべての違和感に敏感に反応してると、生きるのがやっかいになってしまうから、ある程度の鈍感力や妥協も大事かもしれない。

それでもやっぱり「なんか、これは違かも」と違和感を感じているのであれば、それこそが、磨き石、かもしれません。そこを手放さないで丁寧につくられた作品や仕事に触れたとき、それはまわりを幸せにしてくれると、僕は思う。

今日は、自分が感じている違和感をどうぞ大切に、というお話しでした。
ではまた!



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