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comfortable

今日は「居場所」について。
学級集団の状態や、子ども一人一人の意欲・満足感などを測定する尺度にQUがある。子ども自身が回答することで、「学級満足度」、つまり実感としての学級適応感を測ることができる。分布図の縦軸はクラスに居場所があるかを示す「承認得点」、横軸がいじめなどの侵害行為を受けているかを示す「被侵害得点」。右下に分布する「非承認群」の子はクラス内で認められることが少ないと感じている。また、左上の「被侵害群」の子はいじめられていると感じていることが分かる。右下はそのどちらにも当てはまり、「不満足群」とされる。大切なのはそれらの結果をどう学級づくりに活かすのか。上手に対策を施すと一人一人の満足度は確実にあがる。子どもの状態を理解することで、教師の支援が変わり学級が変わっていく。

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一人一人に居場所のあるクラスを作りたいとずっと思っていた。お互いが認め合って、ここにいていいんだって安心できる場所。そんな誰かの居場所に私がなれたらいいなと思っていた。

そのために必要なことは何だろう。

ここが私にとって「居心地のいい場所」と思えること。そのためには、自分がやりがいをもって取り組んでいること、それを認めてくれる人たちがいること、自分も周りの人を認めることが大切かなと思う。

自分で居場所をつくることと、誰かの居場所をつくることは、お互いが気持ちよく過ごすために、必要なのかも。そんな関係づくりを意識して子どもを理解できたらなと思う。

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長い間、クラスの中にみんなの「居場所」をつくることを考えていた。

でも最近、少しずつ、学校にこだわらなくてもいいんじゃないかとも思い始めている。

社会の中で、地域の中で、自分の役割や生きる意味を見つけてること。それがその人の「居場所」になる。

もちろん子どもたちに教師が支援を行うことで、自分たちで居場所を作る力をつけさせることもできるし、それが社会に出た時に活かせるんだと思う。学校という場で、教師が支援することはそういう意味でも絶対に必要だと思う。

だけど、学校に居場所がなかったからといってそれが全てではない。長い人生の中で、学校で過ごす時間はほんのわずか。

社会の中に「ここにいてもいい」、「ここにいたい」と思える場所を作るのがソーシャルワーカーの仕事なのかな。


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なんとなく、取り止めのないことを書いてしまいました。

自分の居場所探しが、知らないうちに、誰かの居場所作りに繋がっていて。

多分これからも、ずっと考えていくことだと思う。

たまにはこんな風に、まとまりの無いまま終わる日があってもいかな…


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