麻雀 美学と拘り。
この前の麻雀は1日打ってトップは0。
ボロボロの負けであった。
まぁ負けたときこそ爽やかに、盆面(この場合は負けたときの顔)をよくしている。
こうすると場の空気もまぁ悪くはならないし、また麻雀をやってくれるしね。
顔で笑って心で泣くってやつだ。
ただ、同じぐらい大切だと思う事があるのだがそれは
『美学や拘りを人に押し付けない。』
ってことだ。
この負けたときこそ爽やかにするっていうのは私が勝手に『そちらのほうがいい』と思うのであって、負けた相手が真っ赤なふくれっ面になってても
「盆面悪いなぁ。負けたときこそ爽やかになれよ。」
とはもちろん言わないのだ。
昔の麻雀打ちは結構、拘りがある。
例えば
『オーラス着順が変わらない和了を絶対にしない。』
という人がいるのだが、その人は三元牌全部鳴かれても着順が変わらないなら本当に見逃したりするのだ。私には理解できない部分もあるが、
『ソレがその人の美学であり拘りなのだな‥』と納得していたのだがその人が良くないと思うところはソレを人に押し付けることなのだ。
特に従業員(メンバー)には厳しく、一度でもそれをやると「メンバーがそんな和了をするのはありえない。麻雀ではなくなるから絶対にやめたほうがいい。」
私はその時に
『まぁフリー雀荘だから本人が辞めるのはいいんだけど、人にも同じ考えにさせるのはおかしいな‥。』
と思っていた。
これは実生活でも言える事なのだが、
『自分がこうだから相手もこうしろ!』
というのはおかしいな事なのだ。
人は人、他人は他人なのだ。
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