カラっとアウフヘーベン
こんにちは。idontknow.tokyoの青木です。
むずかしい言葉は、頭がよさそうに格好つけてるみたいで「ちょっと使うの恥ずかしいな」と思っちゃう派です。
でも、難しい言葉も、使えると便利なシチュエーションって、暮らしの中で沢山あるんですよね。
今日はそんなお話です。
ぬ病
実はわたくし青木には姉が一人おりまして
その姉が小学校のときに、こんなことを言っていました。
「ひらがなの"ぬ"を何度も書いてると、何を書いてるのか分からなくなってくる。だから私はこれを"ぬ病”と呼ぶことにした。」
それ以来、我が家では
「うおー!このままではぬ病になる!」っなんていう遊びが流行ったんですけど、
今になって考えれば、このぬ病ってゲシュタルト崩壊のことだったんですよね。
ゲシュタルト崩壊(ゲシュタルトほうかい、独: Gestaltzerfall)とは、知覚における現象のひとつ。 全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)から全体性が失われてしまい、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。幾何学図形、文字、顔など、視覚的なものがよく知られているが、聴覚や皮膚感覚においても生じうる。(wikipediaより)
「ゲシュタルト崩壊」って、音としても格好良すぎというか、日常生活から乖離した感じがあるんですけど、
僕個人としては「ぬ病」と言われた方が、そのマヌケな響きも含めて本当の生活実感に近くて、好きなんですよね。
さて今日はそんな感じで、たしかに概念としてはわかるけど、もうちょっとくだけた言い方にできないかな?と思う言葉について考えてみます。
アウフヘーベン
でました。カッチョ良くて難解な言葉。
ドイツ語のAufheben(アウフヘーベン)。
日本語では止揚(しよう)と書きます。
止揚(しよう、独: aufheben, アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。揚棄(ようき)ともいう。ドイツ語「Aufheben」の訳語。
ふむふむ。
あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。
矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。
という二つの意味を有する[1]。
このアウフヘーベン、僕のざっくりした理解で言うと
AとBとの対立議論の結果AでもBでもない、より高い段階の回答が見つかった、という感じなんですけど(間違ってたらごめんなさい…コメント指摘ください)
もしこの理解が間違ってないとしたら、これ、僕たちのデザインとかクリエイティブとかの現場でいつも起こっていることなんですよね。
AかBかCか?という選択肢が示され、どちらも甲乙付け難いという中で、いきなり全く別の軸である"いろは!"みたいな完璧な答えが見つかっちゃう感じ。まさに、これぞアイデアというやつです。
僕たちの日常で頻繁に起きている、あるいは起こすべきアウフヘーベン。であれば、そんなカッチョいい言葉じゃなくて、もっと日常に使いやすい言葉にできないかな
ということで、idontknow.tokyoメンバーで考えました。
アウフヘーベンも止揚も、おしゃれすぎるんだよね。
もっと日常的な、だしゃれな感じにしていかないと。
アウフ…
ヘー…ベン?
止揚…
止める?揚げる?
そうか!
カラッと揚げる!
Aか?Bか?というギスギスした対立議論に対して、全く違う観点からのアイデアで突破することを、僕たちは「カラっと揚げる」と呼ぶことにしました。
生きるべきか死ぬべきか?
集団を救うか、個人を救うか?
続けるか、やめるか?
「うーん…それ、どっちか選ぶんじゃなくて
カラっと揚げられませんかね?」
みなさんも使ってみてください。
\カラっと揚げてみよう/
※この内容は、idontknow.tokyoが毎週月曜行なっているライブ配信トークの中から生まれました。
(下記画像をクリックしたら見られます↓)
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