「書くことがない」ことについて壮大に書いてみた

どうも、村尾です。僕がnoteを始めて以来、過去最大のピンチかもしれません。ネタはあるのですが、下書きで500文字程度書いてやる気を失ってしまっているのが多数あります。なので今回は視点を変え、「書くことがない」ことについて壮大に書いてみたいと思います。

日々何も変わらない。古いスポンジののように彩りを少しずつ確実に失っていく日常。あれだけ最初は美しかった学校帰りの夕焼けも、もう僕の心のフィルムに焼きついてしまって吐きそうになる。喜びも悲しみも感情の波は少しずつ平坦になっていく。現実逃避でさえ慣れてしまえばそれが現実になり、日常となり色を失っていく。僕はそんな日常になにもできないままただ流れていくのを、ただ新しい風が吹くのを待つしかできない。ただ僕に存在するなんとなくな憂鬱。僕はそれを形にして昇華させるためにNoteというサービスを始めた。最初はよかった。自分の中の感情表現に新しい手段を手に入れたのだから、僕のなかに革命がおこった気がした。しかし、ネガティブな感情を形にして昇華させるために始めたNoteでさえ、ネガティブな感情もポジティブな感情も繰り返す日常になっている今僕には書くことができない。こんなに日々思っていることがあるのに文章が書けない。ただ思考が何も経ず頭に残り続けて消える。憂鬱。思考回路がショートする。思考して出てきた感情なんか一時的なものでしかないのにそれすら忘れるくらい俺は追われている。特異的な「感情」が出てこない。唯一ある片思いの感情はNoteに書き切れるくらい小さなものではないし、日常にありあふれた感情なんて言語化するまでもない。喜びでも憂鬱でいい、なにか僕に普段感じないものを味わせてくれ。あぁ、何も書くことがない。
そう言って僕は夕空にため息をついた。

最後まで読んでいただきありがとうございました。結構後半キツかったのがバレていると思います。
拙い文章なのをお許しください。
では次のNoteでお会いしましょう。もしよければいいねをよろしくお願いします。

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