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冠婚葬祭が苦痛すぎる

人付き合いが非常に苦痛な身としては、親しくもない人間と
長時間も過ごすことほど、消耗するものはない。

先日、祖母の葬儀があった。

はっきり言って、身内とあまり関わりたくない方なので
家族葬でも本当に苦痛だった。

学生時代、いじめにもあい、ろくな記憶がない墓場のような
地域に赴く。わざわざ苦痛な時間を過ごすために。

『自分は、こういうのは嫌です』

これをはっきり言えたら本当に楽だと思う。

人でなし、非常識の連呼になるのは目に見えるので
ひたすら我慢していた。

一人暮らし以降、嫌いで嫌いで顔も合わさなかった祖母が他界し
葬儀くらいは出なけりゃならないか..と思って
我慢して出たけれど。

葬儀そのものに、嫌悪はなかった。

問題はそれが終わってからの、交流

心を逆なでされるような事を言われても
場を共有しなれければならない苦痛。

学生時代の誰それがどうのだの、祖母に無関係な話まで
参加させられる。

学生時代、男女にいじめられたりと、ろくな思い出がないのに
それをほじくり返す発言。

祖母の死に関係のない、自分の学生時代のどうのこうのまで
なぜ引きずり出されなきゃならないのだろう。

加えて接点もない者同士を、無理やり紐づけようとするのって
田舎独特なのだろうか。

いい思い出があれば、会話に参加するのだろうけど
今でも悪夢にうなされることもあるその学生時代の
膿んだ傷口を逆なでされるので、本当にきつかった。

だから冠婚葬祭という、強制招集が嫌で仕方ない。

でも、世の中にはこんな自分のような感覚の人間も存在している。

大多数の人間の価値観に対して、noを突き出すことは
個性ではなくただの非常識、異常にしか映らないのだと感じている。

冠婚葬祭が苦痛で嫌で仕方ない派は、理解されないから。

でも、わずかな救いがあるすれば、着眼点だと..思う。




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