架空の架空創作物 2021年2月16日の日記

あまり今日は時間を取れないのでノンストップライティングにしようと思います。立ち止まって消したり構成を練り直したりすることなく、ただ時間中キーボードを叩き続けるという、一種のオートマティスムとか自動筆記とか呼ばれるものですね。時間は10分くらいでいいかな。はじめ!

架空の作品について語る機会が稀にある。それこそ架空の作品を幻視していかにも「ありそう」であることを直截的に面白がる時であったり、小説において作中作のようにモチーフを登場させたいときに使ったり。存在しないけれどさも存在するかのように創作物を創作することは、それなりの頻度でなされることなのだと思う。

ただ、こういった創作物をつくること自体がそもそも「架空の作品」としての条件から外れてしまっているような気もする。架空のゲームを紹介する文章なんかは、架空のゲームを紹介する文章"作品"になるのだろうし、ゲームの中で主人公が歌っている存在しない歌は、ゲームの中に存在する歌になるのだろう。

恐らくはこういった「架空の」は大きく分けて二種類に分類することができる。一つが、「その媒体として」存在しない作品で、もう一つが「その架空の引用を除けば」存在しない作品である。それぞれ先ほどの例を引用すると「架空のゲームを紹介する文章」、「ゲームの中で主人公が歌っている存在しない歌」に該当する。要は、そんなゲームは存在しないけれど、そのイデアが存在すると仮定して、そのイデアの影から引っ張ってきた別の表現媒体として今目の前にある作品は存在していますよ、という手つきで「架空の」をやるのが一つの存在するのに「架空」だと主張する方法で、もう一つが目の前にその作品が存在するというのに、そこがその作品の初出となるために、それ以前の世界ではその作品自体が「架空」だったにもかかわらず、作品が生まれる前に作品が存在したという自己参照的な矛盾をでっちあげてみせるやり方と言えるのだろう。全然「要は」じゃなかった。まとまってね~~~。

そういえば、今日見た作品の中にもこういった「架空の」があったような気がしたのだけどどれだったかな。すぐに思い出せない。

思い出そうとしている間に10分になってしまっていた。だいたい上の文章が800字弱なのだけど、内容としては800字もないような気がする。やっぱりノンストップライティングだと贅肉が気になってしまう。情報量、うまく調節できるようになりたいね。

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