ことり 2021年7月20日の日記

小川洋子の『ことり』を読んだ。成長の途中で周りの人間が使っている言葉を使うことをやめて、代わりに小鳥のさえずりを聞き、自分の世界だけの言葉を話すようになった兄と、その兄の言葉を唯一理解することのできる人間であった弟のお話。物語が上手すぎる。

ひどく大雑把に構造を取ると、弟が兄の世界にいたるまでを描いた物語だったのだと思う。兄が青空商店の店主に大切なブローチを贈ったように、弟は図書館の司書に心の中で兄のブローチをあてがい、兄の言葉が言語学者に分析してもらった時に「言語ですらない」と興味を持たれなかったように、弟の模すメジロの鳴き声はパーティー会場にあっても顧みられることはない。そして最後には弟は兄のように小鳥と言葉を交わすようになり、小鳥に看取られて穏やかさの中にその命を終える。

中盤には中に鈴虫を入れて声を聞くための「虫箱」を大切にしている老人が登場するが、この老人の担っている役割も面白い。「虫箱」に入れた時に綺麗な声で鳴く鈴虫というのは草むらで一番綺麗な声で鳴く鈴虫ではなく、群れから離れたところで自分のために鳴いている鈴虫だという旨のことを老人は弟に語って聞かせるのだけど、それからまもなく弟は自らのささやかな社会の大半をも奪われ、弟もその群れから離れたところで自分のために鳴く生き物になる。この鈴虫のエピソードが挟まることによって、兄 - 鈴虫 - 弟 - 怪我をしたメジロ が一つの大きな意味を伴った流れとして読み下せるようになる。

他にも細かいところを上げればきりがないほどに丁寧に、小さな世界にじっと耳を傾け、自分のための言葉を持つことが描かれている。そしてそれと同時に、小さな世界というのは耳を傾けないことで簡単に破壊できてしまうという脆さも徹底的に語られているのが、本作のもう一つの大きな特徴なのだと思う。それを簒奪される側の視点だけでなく、簒奪する側の視点も描いているのがとても誠実な作品であるように思えた。弟と司書のシーンから匂いたつ危うさというのはこの作品において異質な部分であるように感じられるが、これはこの簒奪してしまうことに対する表現として強く評価されるべき箇所なのだと思う。

作品全体の醸成する空気そのものが『ことり』で語られる「小さな世界に耳をすませること」に通じるものがあって、読書体験として兄弟の世界を追体験できたような気にもなれてしまう。面白かったな……。

誕生日だったので、前から気になっていたのに買えていなかった本を「えいやっ」と注文した。

誕生日は誕生日そのものがというよりも「誕生日だし……」と自分を納得させて甘やかしてあげられるところが好き。はぴば私。

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