はい、電磁メタマテリアル 2020年11月18日の日記


もしも自分の身体に特殊な能力が宿ったら、という想像を小さいころはよくやっていた。空を飛べるようになったらどうしたいか、天気を操れるようになったらどうしたいか、未来を見ることができるようになったらどうしたいか。しかし、世俗にまみれるにつれてそういった想像の中でも現実的なことを考えてしまうようになる。


空を飛べる人間が、空を飛べないいわゆる「普通」の人間と同じような穏やかな生活を送れるわけがない。各種メディアで報道されつくされた末にあちらこちらの研究機関に呼ばれてサンプル提供をさせられて、道行く人だって私の顔を見れば「飛んでみてよw」とカツアゲみたいなことを言ってくるに決まっている。ならば空を飛べることを隠して生きていくほかない。小学生のころの私が思いついた方法は「全身を空と同じ色に塗って飛ぶことによって空と同化する」という擬態だったのだけど、今して考えると逆光になってしまうのでそれでは擬態にならないことがわかる。電磁メタマテリアルによって光を回析させる光学迷彩を作り、それを身に纏うという、一種「それもうまた別の特殊能力じゃん」と思えるような科学を使わない限り、「空を自由に飛ぶ」という夢はかなわない。「空を自由に飛びたいな♪」「はい、電磁メタマテリアル~~~!!!(ダミ声)」なのだ。かくして「もしも自分が能力(ちから)に目覚めたらな~~~」という妄想はへなへなと萎んでいった。


ただ、同じくらいの時期から、また別の想像が膨らむようになっていた。「もしもそういった特殊な能力を持つ人間が潜んでいるとしたら、どうすればいいのだろう」という問いだ。私が至った答えである「特殊な能力を持っても大半の物なら隠すな……」を他の人間にも適用すると、仮に不思議な力を持っている人間がいたとしてもそれを誇示するかどうかは怪しいものなのだ。隣に座っているクラスメイトは指から炎を出せるかもしれないし、電車で向かいの席に座っているご老人が実は芥川龍之介の『河童』に登場する老河童のように産まれたときが老人で時間が経つごとにどんどん若返っているのかもしれないし、この文章を読んでいるあなたは文章から全ての嘘を見抜けるのかもしれない。


とりわけ怖かったのは「私の考えていることが全てわかってしまう人間がいるのかもしれない」という想像だった。「あくまで想像だからね」で踏みとどまれないとノイローゼになってしまうくらいの恐怖だと思う。もしもをあまりにリアルに近づけすぎるとその境界がわからなくなって脳みそがくらくらしてしまうのかもしれない。


実際にそういった存在がいると仮定してみたときに、どういった行動を取るのが正解かいくつか考えたこともある。まずは私と同じ「隠す」派の人間だと仮定した場合、「もしも思考を読み取れる人がいたら……」という想像は、そういった力を持っている人間に対して脅威になりかねない。なので私は(私のこれはあくまで想像で、特定のあなたを想定して考えているものではありません。また、仮にあなたがこれを読み取っていることをなんらかの形で知ったとしても、私はそれを口外するつもりはありません)と言い訳をしていた。想像だと言っているのにあたかも実在するかのように言っているのはめちゃくちゃ矛盾しているような気もするけれど、要は敵意がないこと、認識していないことを事前に伝えておくべきだと思ったのだ。


私は聖人ではないけれど、そこまで下卑た考えを持っているとも思っていないので思考を読まれることに対してはそこまで抵抗がない。なにも考えていない散らかった思考が見られてしまう恥ずかしさみたいなものはあるけれど。思考を読まれることが嫌な人は当然いると思いますが、思考を読めてしまうことにもきっと苦しみはあるのだとも思います。他人の頭の中を覗いてしまうことになにか罪悪感みたいなものを感じている方は私の思考でも見ていってくださいね。別に気に病むことはないので。という妄想。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?