いっぱい寝るどころの騒ぎでない 2020年6月15日の日記


先日買った『現代思想 反出生主義を考える』を少しずつ読み進めている。思想に共鳴するかはさておき、私の持ち合わせていなかった視点で様々なアイデアが検討されていくのは刺激的で面白い。


反出生主義と一口に言っても、様々な思想またはそこに至るまでの経緯がある。本好きというくくりの中に「SF好き」や「乱読家」、「海外文学好き」があったり、「物心つく前から家にたくさん本があったから」とか「好きな人が本好きだからそう言っているから」とか「孤独の持久力が高いから」なんて経緯があったりするのと同じ。


「実体験に基づいた切実な祈り」と「道徳の限界を問う論理パズル」といった一見両極端に思える立場が同じ主義の名前を挙げているのも大変興味深いんだけど、私はどちらかというと論理パズルの面としての反出生主義を主に調べている。


「人を産み出すことは倫理的に悪だ」という主義を導き出す論理展開は私なんかよりもよっぽど上手く纏めている人がいるかと思うのでここでは紹介しないけれど、ごく一般的な倫理だけを使ってその結論に至るまでの過程はあまりに美しく、直感的には「間違っている」と言いたくなるようなこの主張が簡単には否定できないようになっている。


そういった理屈を組み上げた人物としてデイヴィッド・ベネターが挙げられる。シオランの主張も(主に「実体験に基づいた切実な祈り」の方で)興味深いんだけど、個人的にはベネターの穴の見当たらない論理展開が分析哲学っぽくて好みだ。この辺りは完全に好みの話。この隙のなさそうに見える論理をいかに評価するかが反出生主義の(論理パズル的な)面白さで、『現代思想』を読んでいると本当に反対する立場の哲学を唱える人は「ベネターを止めろ」みたいな気概でかかっているのが良い。サッカーでドリブルがめちゃめちゃ上手くて点もばんばん取る選手であるメッシを指して世界中のディフェンダーが「メッシを止めろ」みたいなスローガンを掲げられていた記憶があるんだけど、そんな感じで笑っちゃった。完全なように見えるものに立ち向かわなければならない人は大変だ。


私は主義者というわけではないんだけど、こういった主義の存在は重要な意味を持つのだと思う。重大な決断(とくにそれが直接的に他者に影響を及ぼす場合には)を下す際には様々な面から検討していくべきだし、その思考の欠如によって該当する他者に倫理的な害を与えた場合には批難されても文句は言えないだろう。強力で一見否定しがたい主張によって「出産」が否定されているというのは、そういった問題提起としても大きな役割を果たしていると言えると思う。


数学にもミレニアム懸賞問題というものがある。数学の未解決問題の証明に対して懸賞金がかけられているというものなんだけど、それだって証明によって得られた結果よりもむしろ、証明の過程、つまり考え方そのものに価値がある。結論よりも「その道を通った」というその足跡、つまり事実こそが大切なこともあるのだと思う。なにより、結論がいかに直感に反していても、筋道立った理論で反駁しておくことは精神衛生上よろしい。


私自身にも、上手く説明のつけられていない心の中の矛盾があったりするんだけど(「倫理ってなんで守らなきゃいけないの?」とか「言葉って構造上どうしても曖昧さを含むわけだし何かを定義するのなんて無理なんじゃないの?」とか)そういった問題は時間をかけて付き合っていく問題として申し分ないんじゃないかと思っている。使っている道具の仕組みやリスクは知っておかないと自身が怪我をする可能性がありますからね。いっぱい寝ようと思っていっぱい睡眠薬を飲んだらいっぱい寝るどころの寝じゃなくなる可能性があるものなので。

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