ルビを振る 2021年2月19日の日記

痛い。家の門がささくれ立っていたことに気付かないまま勢いよく掴んだせいで親指の爪と肉の間に木片が刺さった。努力もしていないのに指先に血がにじんでいる。スペースキーを叩くのが辛いので人差し指で変換をしている。タスクをクリアした嬉しさから動きが適当になっていたのだけど、やはり調子に乗ると良くない。粛々と暮らそう。

日本語の文章においてはルビが特徴になりうるのだと遅まきながらに気づいた。考えてみれば確かに英語なんかではルビを見かけることがない。文字数が少なく、ある程度文字同士の繋がりによる「読ませ方」のパターンが決まっているから読み方を表記する必要がないからなのだと思うけれど。

先日「日本語は同じ言葉を書くときにひらがな/カタカナ/漢字を選択できることが強み」みたいなことを書いたけれど、さらにそこに振り仮名という発想も重ねられるのだろう。音楽の歌詞なんかを見ていても「めちゃくちゃしやがる……」と思うようなかなの振り方をしていたりするし、本来重ならないものを無理やり処理するための一つの表記法としてルビは使い勝手がよい。「あなた」に「わたし」とルビを振ったりするの、物語の終盤で見がち。

ファンタジーなんかでも格好いい横文字の技でもどんな種類の技なのか見た目でも理解しやすいように「格好いい漢字」に「格好いい音」を合わせたりしている。実験小説の場でもルビはかなり暴れ回っているのだと思うし、ちょっと勉強してみたくはある。小笠原鳥類の『(私は絵を描いていただけだ。/船に遠隔操作の時間差爆弾を仕掛けていたのではない)』もルビで度肝抜かれたし。「時間差爆弾」のくだりが本当に最高。

上の読み方の話でふと思い出したけれど、ハードSFが中国語で「硬科幻」なの、そのまんまなんだけど妙に格好いい。昔エディオンの英語表記が「愛電王」で音と意味が合ってることに感動したけれど、膝を打つような中国語表記はまだまだブルーオーシャンであるような気がする。第二外国語、ドイツ語も面白かったけれど中国語を履修してもよかったなぁと少し後悔している。

ロボットダンス、肉体で機械を表現するということが、ちょうどアンドロイドのように人間を模した機械を作ることと対になっているのが面白い。どちらかと言えば人間のように振舞う機械の方を普段は目にすることが多いのだけど、人間が機械を目指すような在り方があってもいいのだと思う。ブレイン・マシン・インターフェースだし、インテリジェンス・アンプリフィケーション。

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