弱ラプラス 2021年7月29日の日記

Twitterのアイコンに写っているワインレッドのブックカバーの話をしようと思う。これは数年ほど前、北海道に行ったときに皮革製品メーカーのソメスサドルで購入した(私の普段使っているものの中では)割と質の良いものだ。とはいえ、年単位で毎日のように持ち歩いていることもあって、さすがに端やら背やらが擦り切れてきてしまった。気に入っているのに。

新しいのを買おうかなと思いソメスのサイトを開いたのだけど、残念ながらこの数年のうちにモデルチェンジがあったようで、いま私が使っているものと同じものは見当たらなかった。縫い目のないのっぺりとした見た目が可愛かったのだけど、新しいデザインは縫い目がスマートに入っている。これはこれでとても好きで、何も知らない状態で二つを並べられたらこの縫い目が入っている方を選ぶような気までする。ただ、やっぱり長年使ってきたという思い入れがあるぶん、なかなか割り切れないでいる自分も間違いなく存在する。気に入って使っているイヤフォンの製造が終わってしまうのが怖いから常に二つストックしているのと似ている。できるだけ柔軟な態度を忘れずに生きていきたいね……と思っているのに、モノに関しては変化を恐れすぎているような気もする。モノへの執着が割と強いのだと思う。

私の中でもまだ上手く理屈を組み立てられていないので問題自体が成立していない可能性もあるのだけど、こんなことを考えた。ラプラスの悪魔は、めちゃくちゃ雑な理解ではありますが全宇宙における全ての構成要素が特定の時点においてどのようなエネルギーを持っているかを知っている存在であれば、それらが今後どう動いていくかが完全に分かるので未来予知ができるのではないか、ということでだいたい合っていると思う。有名な話だけどこれは、不確定性原理という量子力学の知見によって否定されることになる。しかし、起こりやすい現象と起こりにくい現象というのが分かるだけでも(弱いラプラスの悪魔)様々なことが考えられるように思う。

ミステリではプロバビリティの殺人という概念がある。これは、Aさんがいつも通る道にバナナを設置することですっころんで当たりどころが悪ければ(犯人にとっては「良ければ」だけど)命を奪えるという、確率的な現象に頼る犯行のことを指す。ここからが思考実験なのだけど、弱いラプラスの悪魔を用いてこうすれば相手は死にやすくなるというのが分かった状態で犯行に及んだ場合、それは殺人もしくは殺人未遂となるのだろうか。他にも、これもなんだか読んだことがあるような気がするのだけど、明らかに罠っぽい札に「右に行ってください! 右に行かないとひどい目に遭います!」と書いてあり、Aさんは「罠じゃん」と判断して左の道を選び、結局左に行ったせいで針の山に落っこちてしまった場合、「右に行け」と指示をしたことになるのか、「左に行け」と誘導したことになるのか。

弱いラプラスの悪魔を想定する意義としては、確率を覗き見することは「故意」に相当するのかということ、その確率が人間には不可能な方法で弾き出された、いわゆるAIにおけるブラックボックス問題のようなものが生じていたとき、その確率を計算してしまった責任の所在はどこにあるのかということなどが考えられるというのがあるのではないかと今のところ思っている。なにか面白いことが考えられそうではあるのでもう少ししっかり詰めていきたい。

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