事実的決定論 2022年6月19日の日記

昨日から今日にかけて、ちまちまと吉田伸夫『時間はどこから来て、なぜ流れるのか?』(ブルーバックス)を読んでいた。古典力学の微分方程式はあくまで多くのケースについてそれで近似的に処理できるものでしかなく、量子力学へ拡張することで説明できる現象が増える。「時間が流れる(ように感じられる)こと」はまさにそのひとつで、ビッグバンに端を発するエントロピーの増加方向への非対称性が時間という広がりに方向を与えたというようなことが語られている。

個人的には七章の「時間はなぜ流れる(ように感じられる)のか」が気になって手に取った一冊だったのだけど、そのほかの章も非常に丁寧に順を追って説明してくれている分かりやすい一冊だった。数式の処理もほとんど(全く?)出てこないので、相対論についての入門書としても気軽に手に取りやすいような気がする。

決定論についての言及もとても面白かった。量子力学には不確定性原理というものがあり、これは量子スケールの世界では座標などが確定しないので運動の初期条件に揺らぎが含まれ、結果にも揺らぎが生じるために微分方程式を用いても時間ごとの運動を決定することができないという感じのやつである。(わたしは物理には明るくないので大嘘をついていたら申し訳ない)。しかし、これはあくまで微分方程式による予見の不可能性でしかなく、未来が決定していない証拠にはならないのではないかということをずっと考えていた。本書ではそのような疑問に対して「事実的決定論」という名前を与え、時間に対して俯瞰的な立場を採用したスタティックな議論であると整理してくれている。ちなみにその疑問については「まだ統一的な見解はないかな~」という感じだった。その方向の議論に詳しい方がいたらこっそり教えてください。

話を戻して七章についてだが、皮膚ウサギ効果を例に出しつつ、人間の思考というものが軸索におけるイオンの移動という、光速と比較すると笑っちゃうくらい遅い物理現象によって成り立っていることから「人間は現象に対して後から時系列を付与するような処理をしている」という主張を行っているのが非常に面白かった。リベットは意識よりも先に運動の予備電位が生じることから自由意志の動作への介入を疑問視したが、その現象への理解として、重なり合いを持ちつつ断片的に処理される、のりしろを持ちながら張り合わせた一本の長いテープのような時間観を提示している(のだと理解した)。

正直なところ、一読では拾いきれなかった要素もあるはずだし、物理学に弱すぎて「はははわかんないや」とへらへらしながら読んでしまった箇所もあるので、また周辺の知識を拾い直してから再読したい一冊だった。時間SFをやるための教科書にいいんじゃないかな。

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