メモ整理7 2020年10月17日の日記


スマートフォンの奥底、メモ帳の隅の隅に書きなぐられた一生日の目を見ることのないような文章を供養してやる企画の第7弾です。今月はかなり小説の感想メモが多く、「何ページのどこそこが良かった」だの「あの小説と似たテーマを感じたもののアプローチがうんぬん」だの、本当に私用のメモになっているものが多かったのでチョイスに苦労した。


2020年10月13日
ものをものとして認識できてるの、気持ち悪いな。のっぺりとした光の網膜への侵入に対して輪郭を見つけてそれぞれの領域にタグをつけてるわけでしょ。めちゃくちゃ高度な処理を延々と連続して行えているの、むしろ気持ちが悪いな。


当たり前にできていることがあまりに複雑な仕組みの上に成り立っていることに気付いて気持ち悪がるやつだ。私はこの手の不思議に弱くて、興味が2割、恐怖が8割くらいの感情を抱いている。先日日記にした「普段人が集まっても大混乱が起こらないの、大暴れするという選択肢を誰もが取っていないだけなの怖すぎるな」というものと同じような感覚なのだと思う。クラッカーが整然と並んでいるのも割と怖いし、身の回りに工業製品があふれていてどれも全く異なる製造過程を経て「作られた」ものであるのが怖い。生きづらい。


2020年10月2日
活字の「人」って線対称だし上で繋がってるのな


活字というかフォントですね。漢字を小さなドットの中で美しくシンプルに表現するために形の方を弄るというのはよくあることだけど(「そ」の左上が「、」を使う二画のひらがなになっていたり)、「人」もそうなのだと気付いたやつ。手書きの文字だと一画目の「ノ」の中ほどから生やすように二画目を書くけれど、多くの書体では頂点で重なるように線対称の構造になっている。もはや同じ文字として認識できているのが不思議なくらい。よく「「人」という漢字は支え合っているなんて言うけれど一画目が二画目にもたれかかってるだけだよね」なんてシニカルな意見を見かけるけど、きっと金八先生はモニターに表示されているデジタルなフォントの「人」を見ていたのだろう。


2020年10月1日
「おくすりのめたね」が苦手な人のための「おくすりのめたねのめたね」の開発が待たれる


私は別に「おくすり」を飲むのが苦手でないため「おくすりのめたね」自体飲んだことがないのですが、きっと「おくすり」も「おくすりのめたね」も苦手な人っているんだろうなと思って言葉遊び的に書いたやつ。苦手なものに対する一時的な対症療法というものは往々にして用意されているけれど、その対症療法すらも苦手だった人というのはかなり梯子を外されたような気分になるんじゃないのかな。「○○できない人はこのボタンを押して教えてください」と書いてあるのに、そのボタンに手が届かなかったりとか。私たちは常に「おくすりのめたねのめたね」を心の工場で生産し続ける必要があるという大きい話に持っていくことによってただの言葉遊びを良識ある人間の問題提起の文章に仕立て上げてみました。だいたいの警句なんてそんなもん。


2020年9月16日
泥の上で生きている珪藻の研究をしているせいでマッドサイエンティスト呼ばわりされている環境農学の先生、かわいそう


かわいそうって書いたけど、本人が嬉々として語っていたのでやっぱりかわいそうじゃない気がしてきた。私もマッドサイエンティストって呼ばれたら結構喜ぶと思うし。いいよね。


2020年9月15日
「繭」って「糸」と「虫」なの笑っちゃうな。会意文字にしてもあまりにそのまんまで、漢字を一から作る集合的無意識の会議があった時に「うーん、会議も長引いているしもうこれでいいんじゃないかな」と誰かが言って完成した漢字みたい。


失礼な奴だな。それはそうと、これが和製漢字でないというのが少し驚きだった。こういったあまりに安直な感じの成り立ちになっているものというのはけっこうな確率で和製漢字なので。「風」が「止」まるから「凪」とか、「山」の「上」りと「下」りだから「峠」とか。前も書いたような記憶があるけれど、創作漢字も好きなんですよね。


今月はこんな感じでした。そういうモードだったのか、言葉遊び関連が多かったような気がします。

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