比喩の役割 2020年11月26日の日記


比喩が好きだ。比喩が上手い人の文章を読むといつも後頭部辺りをこう、ガツンとやられたような気分になるし、私自身は「後頭部辺りをこう、ガツンと」なんて言ってしまうくらいには比喩のセンスが磨かれていない。私としては文章に華がなくて決めたいところで決まらないな……と思ったところにねじ込むようにしているのだけど、もっとそれを意図的にできるようになりたい。今日の日記では普段どういった役割を担わせるべく比喩を使っているかを整理してやることで、今後に生かしていければと思っている。


冷静になってみるとどう見ても日記ではない。


1.対象にそもそも存在しない印象を付与できる

比喩の使い方として一番よく見るのはこれであるような気がしている。コロケーションとして「子鹿のように震えている」みたいなものを見ることがあるけれど、あれは「震える」という動作に対して子鹿のような弱々しく庇護の対象となるような存在をぶつけてやることによって印象をいじってやっているのだ。「泥のように眠る」なんかもその一例であるような気がする。睡眠という行為を「ぐずぐずに崩れて形を保てない」存在としての泥で喩えてやることで、どんな睡眠であるかが直感的にわかるようになっている。バーバルでありながらノンバーバルっぽい印象付与をできるのが比喩の特徴だ。


「震える」と「子鹿」なんかは無理なく結びつく概念であるため印象の細部を詰めてやるための比喩だけれど、同じ仕組みでそもそも対象に存在しなかった印象を足してやることもできる。「照葉樹の表面のような爪」みたいな表現で対象に植物的な静謐さを足すこともできるし、「透明な水風船のような笑顔だった」みたいに言えば笑いの奥に隠されている危うさ・脆さを匂わせることもできる。言葉の掛け算であるのでいろいろな組み合わせを試せるのも楽しい。


2.説明を一瞬で済ませられる

比喩を使うことによって、ものの形状であったり様子であったりを一瞬で伝えることができる。必要があってなにかの説明をしたいときに、あまり文章量を割きたくなければ比喩は有効だ。丸くて赤くて艶々としている物体の様子を延々と描写するよりは、「林檎のような」と一言書いてやったほうがイメージは伝わりやすい。情報密度の調整を行うためにも比喩は使える。

たとえツッコミが面白いのもおそらくはここに起因する。ツッコミはキレが重要になる。長いセリフを言っていると観客はボケとの結びつきの弱さを嗅ぎ取り、面白みを感じられなくなる。そのため、比喩の力を借りることでボケとツッコミの距離を近くすることのできるたとえツッコミは面白さを生み出しやすい構造にあるのだと思う。


3.他の五感と結びつけてやることができる

クロスモーダル現象に近いのかも。文章という媒体であれば、なにか一つの感覚を喩えるために五感のうちの他の感覚を持ってくることも可能だ。短歌ではよくある手法なのだけど、短い文章の中に空間というか、層を作ってやるためには他の感覚で喩えてやるといい。「その手に触れた瞬間、あの日のいちごドロップの味を思い出した」みたいな。比喩ではないけれど、広義の暗喩っぽいシーンではかなり有効打となるやり口なのではないかと思っている。


4.読み手を煙に巻ける

用途としては特殊かもしれないけれど、比喩を使いまくることによって大量に印象だけをばら撒きつつ、対象の具体的な説明をなにもしない表現ができる。2.で書いた情報密度の話にもつながってくるけれど、あえて喩える先を増やしてやることによって印象を散逸させて、あたかも複雑なものであるかのように思わせることができる。下手にやると本当に「こやつ、書き慣れてないのに気取って比喩を使おうとして火傷してやがるぞ」と思われかねないので、よっぽどその文章に自信がある場合を除いてあまりやらない方がいい。でも決まると綺麗なんですよね……。二次創作やってた時も数少ない持っている技の一つとしてこの技法多用してました……。


……と、ここまで比喩の有効性について適当に書き散らして「ハイ終了」しようとしていたけど、最近、このパターンの羅列に頼りすぎているような気がする。テンプレートを作ってしまうとそこからの脱出には膨大なエネルギーを要するため、できるだけ形式のマンネリは避けようと思っているのだけど、どうしても忙しい時には楽な形式を選んでしまう。

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