吐くプログラム 2020年12月25日の日記
(note版は一部文章をカットしています)
今日は断章スタイルで。
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リュックのふたを閉めるのが下手だ。家を出る時も開けたままになってしまうし、学校で荷物を出し入れした後はほぼ絶対と言っていいくらいに開いている。もはやなにかの病なのではないかと思うくらいに治らない癖なのだけど、困るのはこれを「わざとやっている」と思われそうだとびくびくしてしまうことだ。
「私天然なんです」と言ってしまう、またはそう見せようとされている方っていらっしゃるじゃないですか。私はエンターテインメント精神の表れとして見ているので、天然だろうが養殖だろうがぜんぜん不快にはならないのですが、養殖を「ぶっている」と切り捨てるような人もいることは否定できないのだと思う。
違うんだ私はぶってなどいない。「ぶっている」でアルバイト先の大掃除で蛍光灯2本と長机をぶっ壊したり、セロハンテープを切り離すための金具でざっくり指の背をやって大出血したりはしない。信じてくれ。鞄を閉められないのはキャラづくりじゃないんだそんな「ちょっとくどいぞ」の目で私を見ないでくれ~~~!!!
なので鞄は閉めたほうがいい。
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推しバンドのボーカルが推し歌人の本を読んでいた。ベン図の重なった部分にいる。
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タイトルのつけ方がどうしてもワンパターンになってしまう。ここぞというときの雅なやり方である3音・4音・5音なんかについての話は少し前に日記でもやった記憶があるけれど、あれ以外にあまりパターンを持っていない上に変なこだわりもあるのでほんとうに広がりが少ない。
よくやるのは「○○の○○」とか「○○に○○」のように、二つの単語を助詞で繋ぐやつ。シンプルな単語の組み合わせでも、その単語と単語のコーパス的な意味での距離が遠ければ意外性が生まれるし、エゴサもしやすい。好きなバンドのフロントマン(今日バンドの話が多いな)も言っていたけれど、エゴサしやすいタイトルをつけることは結構一つの指針となるらしい。独自性も見出せるし。
だけど、その独自性の対極にあるようなやり方として既存の1単語をそのままタイトルにしてしまうやつがある。『エピローグ』だとか『ハーモニー』だとか『ノスタルジア』だとか、そういうやつ。めちゃくちゃ格好いいし憧れるけれど、インターネットに発表するときにこの題をつける勇気は私にはあまりない。
習得したいものに、既存の単語を弄ってあげて、新しい単語にしてしまう造語パターンがある。『〔少女庭国〕』とか『コルヌトピア』とか『ニューロマンサー』とか、そういうやつ。漢字でこれをやるのもすごく良い。今のところ私にはないセンスなので、また磨いていけたらいいな。
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「吐く」という動作がバグでもなんでもなく人間にプログラムされてるの、面白い。身体に生じたエラーを修正するためのプログラムとしての「吐く」「くしゃみ」「泣く」。
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下に新聞紙を引いてコルネを食べようとしたら、記事でも読みたかったのか横から妹が新聞紙を取ろうとしてきたけど、次の瞬間に我に返ったのか「それやると粉散るか」とボソッと呟いて手を引っ込めていたんだけど、それを聞いて「チルアウト・ノクチルカ」が頭をよぎって笑ってしまってコルネの粉が飛んだ。
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流石に2020も振り返りのフェイズに入っているような気がする。今年はしっかりばっちり引きこもっていたので、かなり去年までとは振り返る対象が違うように思うので、ひとつひとつどうだったかを見ていきたいものですね。
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ぱゅの新曲がZ会のCMとタイアップになっていた。地上波で長谷川白紙の声聞けるの、異世界があって嬉しい。
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