ぬいぐるみに息を 2021年1月20日の日記

アークナイツを初めて一週間くらいになる。一章をクリアした辺りで詰まってしまったので、のんびりと育成をしながら進めている。ゲームはあまり上手でないという自覚があり、無駄にユニットを傷つけてしまっては「私の指揮が至らないばかりに……」と落ち込んでいる。

あまりこういったゲームで「推し」を作るのが上手くない。どのキャラクターも魅力的ではあるのだけど、どういうわけかキャラクターに対して狂えない。推すという行為は信仰することに他ならない。対象こそが自らの全てであり、生殺与奪を進んで委ねられることこそが推すということだ。

なんて重く考えて「推しです……」と言ってしまうので、私にはあまり推し(名詞)ができない。あまり、というか一人か。お天道様が見てると同じ意味で、「推しが見てる」を心に抱くことを私は信仰だと思っている。推し、幸せになってくれ。

話すやつを久しぶりにやりたい。昨年はディストピアについて、百合について、反出生主義についてをそれぞれやったので、できれば別のトピックでやりたいけれど、次にやるとしたら何がいいかな。テーマにした時に色々な角度から考えられそうなものがいいけれど。原稿が落ち着いたら(落ち着くのか?)また考えておこうと思う。

ユリイカ2021年1月号『ぬいぐるみの世界』の菊地浩平氏の論考に面白い質問があった。ぬいぐるみは生きているかという議論のとっかかりとして「フィギュア・スケーターである羽生結弦選手の演技後に、くまのプーさんのぬいぐるみがスケートリンクへ大量に投げ込まれます(中略)リンク上に転がるプーさんが死体なのだとしたら、プーさんは一体いつ亡くなった?」というもの。

これは、ぬいぐるみに息を吹き込む存在とプーさんとのつながりが切れてしまったのはいつか、と問題を読み替えることができるだろう。プーさんに限らず、ぬいぐるみを「生きているもの」たらしめているのは人間だ。プーさんの所有者と言ってもよい。例えば、リンクに投げ込まれたプーさんが一体だけだった場合、そこには「プーさんを投げ込んだ者」の存在が強く意識されるため、「生きてるみ」が出てくるのだろう。それが「大量の」プーさんになったことによって、その所有者とプーさんとの間につながりが見いだせなくなり、死体となる。

とも考えたのだけど、それだとおもちゃ売り場で大量に並んでいるぬいぐるみが人間に対して目を合わせてくるような現象に説明がつかなくなる。ぬいぐるみが命を持つタイミングというものは考えれば考えるほどわからない。面白い質問だ。

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