理屈を獲得する前の 2021年2月26日の日記

「無人島に一つだけ持っていくとしたら?」だとか「生まれ変わったらなにになりたい?」だとか、そんな質問を小学生のころにはよく聞かれたようにも思う。真剣に考えれば割と面白い質問だと思うのだけど、当時はなにも考えていなかったので「猟銃」だとか「でっかい猫」だとか答えていた。

同列の質問に、「ドラえもんの道具だったらなにが欲しい?」というものもあった。これに関してはなんだか年を重ねるごとに「正解」と思えるものが変わっているような気がする。小学生のころは深く考えずに「どこでもドア」だとか「タイムマシン」だとか答えていたけれど、少し年を取ると「もしもボックス」の汎用性の高さに気付いてめちゃくちゃしようとしたり、他人を意のままに操れる道具なんかを欲しがるようになったりと、即物的な道具が魅力的に思えてきたものだけど、今はもっとささやかな道具が魅力的に見えてきている。「ビッグライト」とかめちゃくちゃほしくないですか? 本を入れるスペースが足りなくなったら本棚を大きくしたり、モニターを巨大にして迫力溢れる大スクリーンで映画を見たり。でもよく考えたらサイズが大きくなっただけだと画素数は変わらないから映像が荒くなってしまうような気もする。あとは猫をでっかくしたり。でっかい猫、いいので。でっかい猫には今でもなりたい。

よく聞いているラジオで二人のパーソナリティが
「子供のころは虫好きだったけど大人になってからは駄目になっちゃったな」
「私はだんだんまた虫OKになってきましたね。谷みたいなものなのかも」
みたいな会話をしていたけれど、それに似ている。理屈を獲得すると一時的に理屈でしかものを捉えられなくなるけれど、そのうちに理屈と感覚の割合をコントロールできるようになってくる。言い換えると、消極的ロマンから、実利へ変遷し、今度は積極的ロマンへと回帰する流れがあって、結果だけ見ると子供に戻ってきたように見えるのかもしれない。昨日の読書会配信で「堂々と子供っぽいものを選べるようになってからが大人」という言葉に対して「いいよね……」となかば言語化を放棄していたことを言語化できたのでスッキリしている。「大人」と「子供」の二項対立として認識すると撞着語法っぽく見えてしまうけれど、ここで「子供」を「理屈を獲得する前の存在」と「理屈に振り回される存在」に分けることによって、解決できる。

以前書いた二次創作にも「子供っぽいものを臆面もなく選ぶ大人を見て負けたような気持ちになる子供」のシーンがあるのだけど、今になって「このシーンがなぜ小説全体のテーマを貫けていたのか」が理解できたような気がする。自作なのに。

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