ドーナツの穴 2020年10月30日の日記

(note版では一部文章をカットしています)


「そういえば通ってきていない」というものってないですか? 有名なあのお店のお菓子だけどそういえば食べたことなかったなぁ、だとか、ずっと住んでるこの街だけどあの観光名所そういえば行ったことないや、だとか、そういった周辺知識がなまじあるためにずっと知っている気になっていたけれど自分では体験したことのなかったものって往々にしてあるのだと思う。私にとって「ドーナツホール」がそれだった。それだったことに今日気付いた。


「ドーナツホール」はボカロPであるハチの楽曲だ。米津玄師がボーカロイドを用いた楽曲制作を行うときの名義と言った方が伝わるかもしれない。あるいはそんな注釈もいらないほどに有名なことかも。「ドーナツホール」はハチ名義の楽曲の中でも有数の知名度と人気を誇る楽曲で、アルバム『YANKEE』に米津玄師本人によるセルフカバーが収録されるなど今も幅広く聞かれている。はず。


一般的なこの時代のバンドオタクらしく私も米津玄師の楽曲をむさぼるように聞いてきたのだけど、不思議と「ドーナツホール」の原曲だけは通っていなかったらしい。ハチ時代の二枚のアルバム『花束と水葬』『OFFICIAL ORANGE』も聞いているし、本当に「ドーナツホール」だけがすっぽりと抜け落ちていたのだ。シングルとしてリリースされたままボーカロイド版は2020年10月現在アルバムとして収録されていないからだろう。そんなことに、Spotifyの私向けに作成されたプレイリストを再生しているときに「ドーナツホール」の原曲を初めて聞いて気付いた。


「ドーナツホール」についてはそれなりに色々な機会に耳にしていると思う。それこそ米津玄師セルフカバーバージョンもそうだし、いわゆる歌ってみた動画や、カラオケで知人が歌っているのを聞いたり。そんな風にかなりいろいろな聞き方をしているというのに、原曲だけがすっぽりと抜け落ちてしまっていたのだ。ドーナツの穴に喩えた文章でジョークを言おうとしたけれどあまりに直截的でつまらんのでやめた。思いついてはいたんだよという足跡だけを残して罪から逃れるムーブをかましていこう。


そういえば、中学生・高校生のころはボカロの声が苦手で避けていた節があった。無邪気に「肉声が一番だよな~~」と言いながらオートチューンのガンガンにかかった音楽を聞いていたのだからまるで話にならない。肉声だろうがボカロだろうがオートチューンだろうが、音楽の中の一要素であって表現する内容にもっとも適したやり方になっている方が大切だと思うようになったのだけど、これもまた5年くらいしたら「無邪気でよろしいこと」と皮肉を言っているかもしれない。ともかく、私のこのボカロ避けは好きな作家さんがsasakure.UKさんを好んで聞いていると知るまで続いた。好きな人が「これいいよ」と言っているものを妄信する節操のなさを笑ってほしいけれど、実際sasakure.UKさんの音楽はめちゃくちゃ良かったので私の調子のよさにこの件ばかりは感謝している。好きな人の好きなものを好きになるの、世間では主体性のなさを指摘されることも多いですが、なにかに影響された人を好きになっていると言い換えることもできるので、その影響した元を好きになることになんの問題があるのだろうか。大して確立された自我があるわけでもないので、私は好きなものに振りまわされて好きなものを増やすようにして生きていきたいと思っている。

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