玉石石屑屑石 2020年11月28日の日記


日記のネタに困っている。というのも、日記に書きたいことと小説にしたいことがバッティングすることが増えてきたのだ。「お、この発想面白い気がする」という日常の中の気付きについて、今まではそのまま日記にだらーっと書いて済ませていたのだけど、最近は「これ、もしかして短編のネタくらいにはなるのでは……?」と思うようになってきた。


読むものと書くものが近付いてきたのがその理由の一つとして挙げられるのだと思う。少し前まではあまり自分で書くことのないミステリであったり青春小説をメインに読んでいたのだけど、最近ではSFであったり純文学(というジャンルは漠然としていて正直よくわからない)であったりを読むようになり、それに伴って「本を読んで考えること」と「小説にしたいこと」が近い位置に来てしまったのだと思う。


(特に冬場には)割と遅筆であることは自分でも理解しているので、思い付き全てを小説にできる(できている)わけではないのだけど、それでも作品の骨子が容易に浮かぶようなものをこのような適当な文章を垂れ流す場に出してしまうのはもったいないような気がしてしまい、結果メモ帳の闇の中に眠ることになる。ぽんぽこ浮かぶ程度のアイデアならば、ぽんぽこ消費してしまってアイデアの新陳代謝を図る方がよっぽど健全であることは言うまでもない。一つのアイデアに拘泥して新しいことを考えないのは「文章はまだぜんぜんですがアイデア勝負でなにとぞ……」と思っているような種類の小説ビギナーにとっては致命傷となる。出して食い散らかして次へ。


来年くらいからは日記のやり方も少し変えていこうかとも考えているので、この形式でできることは全てやっておこうとは思っている。やっぱり1500字×365日というのはかなりの鉱脈であるように思う。いくら玉石石屑屑石混交くらいの比率であろうが、さすがにこの量があればそれなりに面白いものも落ちているような気がする。書いてそのまま読み返すこともなく放置していることがほとんどであるので、一度ちゃんと振り返っておくのもいいかもしれない。廃品アートを作ったり都市鉱山として機能したりすることもあるだろう。


これまでもさんざん「こんなの日記じゃないやい」とあまりに出来事を書かないこの状態に対して小笑いセルフ突っ込みをやってきたけれど、いよいよ本当に日記とはそういうものでない気もしてきた。私にとっては、思索であったりこの構造好きみたいな話は、小説としての形にすることが最終地点になるべきものとして認識している。その整理の過程をストックするという意味ではこの文章群は非常に役に立っているのだけど、最近は実利を追い求めそういったものばかりになっているのもいただけない。当初の目的に立ち返り、より無意味で意義もないものを作るべきなのだと思う。それこそ、最近あまりに軽視されている「出来事」の日記だとか。今年のスローガンとして掲げていた「しっちゃかめっちゃか」の精神にのっとり、より意思の介在されにくいような形に日記を戻していければと思う。まだ振り返るには早いけれど、今年考え続けていたそれはシュルレアリスムにおけるオートマティスムの概念に近いことが分かってきたので、そちらの手法も参考にしつつ。


ということで、今日は日記について考える日記をやってみましたが、こんなのばかりになると本当に面白味がない。書く以上は読むに堪える文章を書ければと思うし、読み返して苦痛でないものを書きたい。ともかく、今日書きながら得られた「その程度のものを出し惜しみするな」と「ちゃんと出来事も書け」を意識しながらひとまず年末まで日記をやろうと思います。その先どうするかはもう少し考えるとして。

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