ガソリン生活 2021年7月27日の日記

伊坂幸太郎の『ガソリン生活』を読んだ。自家用車の視点で物語が展開されていくミステリ。「車視点?」とあとになって読み返して自分で混乱することが予想されるので補足すると、よく猫には猫の社会があるなんてことが言われるけれど、あれに似て、車(など車輪のついた乗り物)が人間にはわからない形でコミュニケーションを取っているという設定になっているのだ。車は現実と変わらず人間に運転されるし、車は意図的に自分の身体を動かすことができないけれど、意識や自我だけがそこにあるというか。

車を視点に据えているのが効果的に作用している作劇だったのが良かったな。ミステリなのでなにか不可解な出来事が起こった場合にはそれに筋の通った理屈がつけられることになるのだけど、人間の言葉を理解できる車は ①車内の人間の会話 ②車同士の井戸端会議 の二つから事件の謎を解くことになるし、その一方で人間たちは人間同士の会話の中で謎を解いていくのだけど、その情報を得ていく過程のうち、車から離れたところで起こったことは視点人(?)物である車にはわからないという、複数ルートからの謎解きが楽しめる作品になっているのだ。その情報開示タイミングが綺麗に整理されているために、読者がその全貌を理解できるタイミングというものまで用意されている。仕事が丁寧。

謎自体は(伊坂幸太郎作品の中では)非常にシンプルなものなのだけど、その開示タイミングやルートの取り方というところで実験的なものをやっているのが印象深かった。伊坂幸太郎の作品って、グラデーションの中に存在する人間の善悪を描く一方で、物語の中ではすっぱりと「悪」として扱われる対象を作ることがあるのも現代の小説としては尖っているところなのだと思う。これだけの量と質を兼ね備えた作品を書きながら視点人物に寄り添って愛のある小説を作りつづけられるの、本当にすごいな。普段は感想文で「愛」なんて書かないのだけど、それくらい一貫性のある制作スタイルにぐっときている。私がエッセイ集『仙台ぐらし』が好きなのは、そのひとつの答え合わせになっているからなのだと思う。

文庫で出ている作品は全て読んでいると思っていたのだけど、なぜかこれだけ読めていなかったんですよね。読めてよかった。

製作期間のためなかなか告知できておりませんが、『いなくなった相手の煙草を戯れに吸ってみる百合アンソロジー』は表紙や原稿など着々と最高を積み上げております。9月の刊行までに加速度的に告知が増えていきますので、ご期待いただければ幸いです。

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