ワレワレハ 2022年6月2日の日記

地球に飛来してコンタクトした際に「ワレワレハウチュウジンダ」と喋るというステレオタイプな宇宙人像があるが、あの描写におけるもっとも大きな違和感はもしかすると「ワレワレ」の部分にあるのかもしれない、ということをさいきんよく考える。

人間をはじめとする(海綿動物や平板動物なんかを除く)動物は、神経系と呼ばれる、自身の内外の情報を統合して管理するシステムを有している。細胞-組織-器官-個体-社会から成る仕組みの中でも、どこか「個体」が基準になっているように思われるのはこの神経系によって行われる統御の範囲が「個体」であるからなのだと思う。言い換えれば、そのような神経系を持たない生物にとって「その個体であること」というのは動物の主観的な理解からはかなり別様のものになっているのではないだろうか。

ここで冒頭の「ワレワレハ」の話に戻りたいのだが、個体をベースとした生態システムの認識は地球の、それも一部を除く動物に限られたものであるはずで、それを考えると、全く異なる進化を辿ったと考えられる(というか自然選択が働くのかもわからない)地球外生命体が個体という認識システムに拠って立ちコンタクトを図っているということはかなり出来過ぎた話であるようにも思われる。もっとも、人間スケールの生物であれば個体ベースの統御が便利であるという収斂進化も考えられるので即座に否定されたものでもないとは思うが。

あるいは、細胞や組織に明確な意識が宿っている生物であれば、地球上の生物のような「個体の発生の際、ボディプランに従って細胞を殺して自身を形成する」仕組みについて、なにか野蛮なことだと理解するのかもしれない。地球外生命体が可算名詞である必然性はない。

日記の更新が滞りがちになっているが、体調不良などなにか悪い理由があるわけではなく、肉体も精神も平常時と変わらずほどよく元気ではある。どちらかというと「時間に追われており手が回っていない」というのが正しいところだと思う。裏を返せばこの日記がタスク処理能力における緩衝液として機能しているともいえ、忙しさに波のある現状の環境では非常によい役割を担ってくれている。ありがとう日記……その犠牲の上にマスターピースが生まれるのだから……。

とはいえなるべくきちんと更新したいとも思っている。日記には思考のストックとしての目的もあるので、それが目減りするのはあまり好ましくない。

「朝までお話しよう」
「ねむらなくてもつかれないくすり」

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