メリーゴーランド相対論 2022年6月9日の日記

交通事故にまつわる言葉にコリジョンコース現象と呼ばれるものがある。これは、見通しのよい十字路で、二台の車両が互いの姿を認識しているにもかかわらず、速度の高いままに衝突を起こしてしまう現象を意味する。一見すると事故の起こりにくそうな開けた田園でこのような事故が起こるのは、人間が速度というものをいかにして認識しているかということが大きく関係している。

コリジョンコース現象について、条件を確認する。コリジョンコース現象は十字路を垂直方向に進行する(片方が南北方向に、もう片方が東西方向に進むような)二台の車両間で生じる現象だ。ここで片方の車両の運転席に座っていると想像してみると、開けた田園ではたとえば視界の右隅の方に一台の車両の姿が見えることだろう。このあと事故を起こす車両だ。わたしの乗っている車ともう一台の車両、それから交差点。この三点を結んで直角二等辺三角形ができる、かつ二台の車両が同じ速度で進んでいたとき、コリジョンコース現象は生じる。すなわち、自身を中心とした時の進行方向に対するもう一方の車両の角速度がゼロになり、フロントガラスに見える車両の位置がお互いに移動しない――実際は時速数十キロで走っているはずの車が止まって見える現象が起こるのだ。

人間が速度を視覚によって捉えるためには、必ず相対速度が要求される。視認の対象に対置されるものとしては自分を据えてもいいし、別の目印になるような物体を置いてもよい。しかし、基準となるものから遠ざかっていく時間当たりの変化量を(相対)速度と呼ぶ以上、そこには錯覚の入り込む余地が生じる。並行して走る車がゆっくり走るように見えるのも、ターナーが印象派に接続されるような作品を描いたのも、相対速度と認識にまつわる諸々なのだろう。

メリーゴーランドの内側から見た外と、外から見た内は速度が異なるはずだ。外から捉えたせいぜい数十度の移動と、内側から外を見たときの丸々360度にわたる回転。それらふたつが同じ時間の内になされるために、主観的な速度はメリーゴーランドに乗っている側の方が高くなる。同じ現象がそこにあるというのに、視点の置き方に応じて体験の性質が異なってくるともいえるだろう。同じ地球の自転という現象についても、太陽から見たそれと地球から見たそれはまったく異なるものに感じられるはずだ。普段それと意識せずに名前を与えている「速度」が他でもない「相対速度」であることは、一度意識されると不確かなものに思えてくるが、その不確かさについては認識しておいた方がよいこともあるのだろう。物理的な速度に限った話ではないが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?