ハーモニーとわたし 2021年1月30日の日記

初めて触れたジャンルSFは、恐らくは伊藤計劃の『ハーモニー』、それも映画版だったのだと思う。完全に年代がバレてしまうけれど、映画館で上映されていたのは、私が高校生のころだった。

当時は小説も読まなければアニメも見ないといった虚無人間であった私が『ハーモニー』を見にいったのは、ごく単純に知人に誘われたからだった。だけど、最寄りの映画館では上映がなく、土日は部活動のある私は遠出もできなかった。「ちょっと厳しいかな」という話をしたら、知人はそれでもと食い下がってきた。そこで一日考えた知人が持ってきたのは「高校をサボって隣の市の映画館に行く」というものだった。当時サボり癖のあった私はいい口実だとばかりに賛同し、かくして私たちは平日の昼間に学校をサボって『ハーモニー』を見にいくことになった。

知人も、どちらかというと主題歌から興味をもった様子で、内容についてはテイザーに出ている設定程度しか知らず、私に至ってはなにも調べることなく、タイトルすら忘れた状態で映画館に集合した。公開からしばらく時間が経っていた上に平日の昼だということもあって、その回には私たち二人だけしか見にきていなかった。だだっぴろいシートの海の中で、一つ席を離して私たちは陣取る。ひじ掛けを両側とも使えると嬉しいからだ。

SF慣れしていないこともあって、正直映画の意味はほとんど理解できていなかったと思う。それでもなにやらすごいものを流し込まれたのだという感覚だけがあって、映画館を出てからも、普段は口数の多い知人がどこか遠い世界に意識を置いてきてしまったようだった。

知人はその後、原作である伊藤計劃の『ハーモニー』を読んだらしい。私は読まなかった。数日はPVなんかを見返して私の体験したそれが何であったのかを探っていたようだったけれど、部活動の忙しさに紛れてそのうち忘れてしまっていた。

それから数年して、小説を読むようになった私は『ハーモニー』と再会することになるのだけど、きっと私の中に横たわっているSFの原体験はあの二人だけの映画館の空間とは切り離せないものなのだと思う。今思えばラストの差異がかなり気になるのだけど、それでも確かな思い入れがある。原体験というものは振り返って初めて「あれがそうだったのかもしれない」と知ることのできるものであり、偶然の要素によって大きく左右されるのだと思うけれど、あの時『ハーモニー』を見られて本当によかったと思う。知人に感謝。

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