初見感想の初見感想 2021年5月23日の日記

「初めて作品に触れたときになにを思ったのかを書いた文章(検索避けの迂遠な言い回し)はバズるよ」という意味の文章が書かれた記事が回ってきたので、その記事の初見感想(一瞬で検索避けが面倒になった)です。

こちらで勝手に記事の大意をまとめると、「誰でも知ってる名作」は誰でも知っているがゆえに、知っている人間同士では感想や考察などを書いている人との情報の非対称性が小さいのだけど、初見の人間に限ってはその非対称性が大きく、感想を見ている側も「誰でも知ってる名作」の新鮮な捉え直しが出来るというようなことが掛かれています。露悪的に書けば「情報を持っている私と、情報を持っていない初見感想」のギャップをコンテンツとしていると纏められるんじゃないかな。

この記事は案の定というかなんというか、観測圏だとかなり批判的な言及をされていて、「感想はバズのための道具じゃなくて感情の発露だから。バズるためにやってると思われたら嫌だな……」や「求めている初見感想はウケ狙いの見え透いたものじゃない」なんて言われていた。割とわかる。自分で書く感想は基本的にあとで感情を取り出せるようにするための記録だし。もちろんこの文章もそうですよ。

ただ、一部気になったのは、感想で嘘を書くことに問題はあるのかという点だ。ここから先はあまり「初見感想」とは関係のない話になる。例えば、嘘の出来事を書くことは小説と呼ばれ、一般に問題がない行為として見做されている。私は小説という行為自体にもなんらかの倫理的問題があるのではないかと思っているけれど、一旦それは脇に置く。架空の恋愛を歌った歌詞にも共感できるし、作者も読者も体験したことのない出来事に臨場感を覚えることもできる。だから、嘘のコンテンツだから悪いとなんのエクスキューズもなく繋がるのは少し気になる。

嘘が嘘だと分かるような形でコンテンツが提供されていることが重要なのだろうか。「本当にあった怖い話」のような怪談だって、これは事実であるという前提によって恐怖感が確保されているような気もするけれど、全てが本当だと心の底から信じ切って触れている人もそう多くないようにも思う。「本当にあったスッキリする話」や「マジック」などもおそらくこれに該当する。これらはある程度の透明性があって、こちらで「騙されてあげる」というコントローラブルな操作が入ることによってコンテンツとして楽しめている。小説も同じだ。あとプロレス。

確かに、そういう意味では「初見感想」は若干様相が異なっている。ある程度、それが事実であるということを前提としないと楽しめない、言い換えれば「純粋」であることが条件のコンテンツだと認識されているような気がする。それがフィクションであると認識すると楽しめなくなるコンテンツは他にも「面白い誤字」や「知り合いの面白エピソード」などがあるのだと思う。どれも、それをコンテンツとして消費する側が真偽を確かめられないという点で、上の段落で触れた「嘘が嘘だと分かるコンテンツ」とは性質が異なる。その楽しみ方をコントロールできない、主導権を握れないという点が「嘘」だった場合の不快感を煽っているのかもしれない。

私自身はかなり誤字をやってしまう方なので(この文章にもたぶんいっぱい隠れてるんだと思う)、偶然面白い誤字が生まれる可能性については割と肯定的に見ている。私もメルカリで物を売ったときに相手が「入力ミスをしたので一旦キャンセルさせてください」と送ってきたので「承知しました。では再度の誤送信をお願いいたします」と、めちゃめちゃ煽ってしまったことがある。すまん。

しかし、それは猿が無限回タイプライターを叩くとシェイクスピアの作品が生まれるという話に近く、何度もシェイクスピアが生まれる場合にはそこになんらかの作意が含まれている確率は格段に上がる。もちろん全部がそうだと言いたいわけじゃないけど。UFO研究科の人の方がUFOの目撃例が多いのと似ているかもしれない。UFOを探しているからたくさん見るのか、それともみたいと思っているからたくさん「見て」いるのか。確たる証拠もないのに疑うなというのももっともな話だし私もどちらかというとそっちの立場なんだけど、ちょっとうがった目で見てしまうというのも少しわかるような気がする。それがいわゆる「透けて見える」初見感想なのだろう。

あるいは、嘘によって利益を得る一方、「嘘」が存在することによって不利益を被る人間が出ることになんらかの引っ掛かりがあるのかもしれない。私はあまり人様が読んで「面白い!」と思うような感想を書かないのだけど、面白くないのはおそらく読んで自分の心がどう動いたかをあまり明記しないからなのだと思う。裏を返せば、バズ狙いであるないにかかわらず、それを読んだ「自分の」心の動きを書く方は存在していて、そういった感想が「目的があって繕っているものかもしれない」と疑われる可能性があるというのは確かに一つの事実だとは思う。「初見感想でバズを狙おう!」というアジテーションに対して怒ることができる、言い換えれば不利益が生じるのは、私が思いつく限りだと感想とアイデンティティが密接に結びついている人なのだと思う。

私自身は狙って作り出された感想でも構造が面白ければ楽しんで摂取するし、二次創作やフィクションに分類されるコンテンツの形態としては存在してもおかしくはないのかなと思う。ただ、それが情報の非対称性に裏打ちされたあまり上品とは言えない楽しみ方であるのも事実だし、「私のこの思いはリアルなので……」と思う方がいるのも確かに良くないなとも思う。

という初見感想なんだけど、不思議とバズる気がしないな。

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