水素水飲み放題 2021年2月21日の日記

今日はあまりに眠気が強いので手短にいこうと思う。いくら寝ても寝たりない。なんなんだ。

高岡詠子の『チューリングの計算理論入門』を読んだ。本当に手取り足取りな入門書だったけれど、おかげで万能チューリングマシンの概要がつかめたような気がする。「計算できる」ということを数学的なモデルで示すための条件など、知りたかったことも綺麗にまとまっていたので満足。参考文献も充実していたのでそちらから勉強を進めてもいいかもしれない。最近は小説と併行してエッセイや新書、評論なんかも読んでいるので割とアイデアが増えているようには思う。使える道具が増えていくの、楽しい。

ヨガスタジオの宣伝に「水素水飲み放題!!」って書いてあって笑ってしまった。自分の価値を安売りしないでほしい。

最近になってやっと気づいたのだけど、私はTwitterでほぼ空気なのかもしれない。いや、なにを今更と思われるかもしれないけれど、私は暇さえあればTwitterを眺めてタイムライン全てに目を通しているため、一方的にフォロイーの文章を日常的に目にする環境にいたのだけど、私はほとんどツイートをしないため、フォロイーからすればほぼ「誰……?」状態なのかもしれない。

Twitterのアカウントは今使っているのが三つ目だ。一つ目ははじめこそ「オタク始めました! 好きな作品の好きなところの話をフォロワーとする!」みたいな運用をできていたのに、途中で創作を始めたあたりから「新作投稿しました」か「○○が××する回」みたいなネタ投稿しかできなくなっていた。そのため「気軽に呟くぞ!」と意気込んで始めたサブアカウントも気付けば「これは書くほどのことじゃないな……」と尻込みして投稿が激減、投稿が減るとさらに投稿ハードルは上がり、実質ほぼ凍結状態に。そして今使っている一次創作用のアカウントに至る。

一番上で眠気に対して「なんなんだ」と書いたけれど、字面だけ見るとちょっと口調が強くてびっくりしている。「困るなぁ」という意味合いをちょっとコミカルに表現するぞ、と思って書いた単語なのだけど、うまく機能していない。

こういった「なんなんだ」が上手く機能する場面というのは、その文章を書いている人間の性格やら声色なんかを読み手が熟知しており、「(あの人の喋っている)なんなんだ」になっているものなのだろう。ここで一つ上のトピックで書いた「お前だれ……?」の弊害が出ていることが窺える。人格を削ってTwitterをする気は今のところ全くないし、面白いことは小説やそれ以外の媒体のまとまった単位の文章にしたいなぁと思っているので今のTwitterの運用方法は暫くは変えないと思うのだけど。

まとまりがないな。言いたかったのはTwitterでの私のふるまいの薄気味悪さに最近になってやっと気づいたけれど、割と意図どおりなので今のところ変えるつもりはないということだった。やっぱり眠気で朦朧としていると摩擦係数の低い文章になってしまう。なんなんだ。この「なんなんだ」はコミカルな「なんなんだ」で処理してください。

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