とある家族シナリオを回ったら、自分のいのちの輪郭をすこしだけ思い知った話
ネタバレ無し。
感想ですが、感想と呼ぶにはあまりにも自分語りです。なんならセッション内容もそんなに言及してない。
ツイートのつもりだったとか信じられない。−3000ってなんだ?
TRPGっておもしろいね。では収まらなくなってきてしまったので、ちょこっとだけ書きました。
イラスト:たいやう様
お借りしました🙏
TRPGという、自らの声でロールプレイをして物語を進める遊びにハマっている。
この3月は『とある幸せな家族の話』というシナリオを回った。私には「母親」の役割が宛てがわれた。
私の実際の家庭環境は、正直あまり和やかなものじゃない。
だからいわゆる「普通の母親」がおやすみをいう時やお夕飯の時、テストを見る時、抱きしめる時、なんと口にするのかいまいちピンと来ない。
……いや、創作物の世界で見かけるから想像できないことはないのだけど。いずれにせよ、己とはかけ離れたテンプレートの母親像がかろうじて浮かびあがった。
たとえゲームだとしても、腐っても親をやるのだ。それなのに、私には子供たちを諭せるだけの親らしい人生観なんて到底持ち合わせがない。人間性のどこをひっくり返しても、誰かを守れるような強かさや聡明さを見つけることなんてできない。要するにRPの元手がないのだ。
HOが決まったときはワクワクしたのに、いざ考え出したらそんなふうに袋小路で参ってしまった。
とにかく自信がないし飲み下せなかったから、それを素直に設定にも反映させることにしてみた。
HO2である母、
種継円果は「毒親育ちで普通が分からず、きちんと家庭を築けているか不安で仕方がない。いわゆる''普通の幸せな家庭らしさ''に固執してしまう。
しかし、分からないながらも生まれてきてくれた子供たち対してには''自分とは違って幸せになって欲しい''と心から願っており、夫とともに日々試行錯誤している。」
ぎこちないかもしれない、不自然かもしれない。普通の幸せを押し付ける母親なんて最悪だろうか。ああでも、精一杯大事にしたいなと、ただそれだけを握りしめて当日を迎えた。
────はたして、私は気が付けば世にも幸せな「種継家」の母親だった。
不安なりに差し出した言葉を、夫は補いながら「有難う」といってくれる。子供たちは彼らなりに見聞きして、時に心配してくれる。円果の精一杯を、彼らはそれはもう幸せそうに受け取ってくれたのだ。う、うれしかった。
TRPGは、個人的には本気でやってナンボだと思っている。
所詮ゲームだと思わず、NPCを心から心配し、怒り、愛するのが好きだ。この設定でこんなシーンを迎えたら、どれほどやりきれないだろう?脳と情緒と語彙をフル稼働させる、すこしでも彼と私に悔いが残らないようにと願う。
相手がいるから、そこに他者の言葉が返る。奇跡的に同じ温度感で渡り合えたとき、それはもう魂で対話、いや殴り合いをするようなものだ。だいたいラップバトルである。本来、人生でこれほど本気で誰かと話す機会なんて何度あるというんだろう?
そうこうする内に、言いくるめたり感心したり説得されたり。自分一人きりの考え事じゃないからこそそれはサプライズになり得て、180度ぐるりと視界が変わってしまうことすらある。凄い、もの凄い遊びだ。
種継家をロールプレイする中でも、そんな手応えに恵まれるシーンがあった。
そもそも夫婦ふたりはお互い同じ考えでいたのにも関わらず、子供や互いのことを思って必死に話してゆく内に、なんと二人ともの考えが完全にひっくり返ってしまった。
その話し合いを私たち夫婦は子供(PLさんにも)に聞かせないことを選んだのだけど、何も知らないはずの子供たちの率直な言葉が、たまたまその決意を射抜くように肯定してくれたのにも驚いてしまった。頼もしいと思った。
ああ、私たちの心配を飛び越して、この子達はもう自らの足で立つ家族の一員なのだ。まだまだ守らなければならないけれど、同時に尊敬できる一他者なのだ。ちゃんと助けてもらおう。そう思えた。「信頼」がリアルタイムで育まれた瞬間だ。
常にそこまで入り込めるわけじゃないけれど、時々そんなふうにかけがえのない瞬間があるから、遊びといえどもそれってもう人生の大切な一部だなあと思えるから、TRPGはやめられない。
さて、心配とは裏腹に。私は意外にも「良い母親」になれたのである。
一人で母親になろう、としていたことがそもそも烏滸がましかったのだと思う。みんなで手を取り合うからこそ母親でいられるし、だからこそ家族なのだ。
前述の通り、私の現実の家庭は壊れている。
だからこそ、余計にしみた。ひとつも当たり前じゃない、人と人が手を取り合って生きるという情景を主観的にくぐったことが。
「種継家」を通して知らない景色をたくさん見られたし、なんなら、私の人生を少し追い抜きすらしたように思う。
いわゆる家族ものが苦手だった。家族なんて仕組みそのものが苦しみなのだと体感してきたから、信じきれなかった。実際、現実には相性も環境も本物の年齢差もあって、心の基盤からひび割れてしまうような思いをする人も少なくないだろう。必ずしも気持ちひとつでどうにかなるとは今でも思わない。
それでも、少なくとも私にとっては世界を塗り替えてしまうような経験には違いなかった。それまで夢物語としか感じられなかった「人が一緒に生きることの意味」が、それこそほんの遊びでままごとだとしても、深く深く解った気がした。
その日から町中の家族が愛しくて仕方がなかった。
セッション直後、全生還だ!とみんなで大はしゃぎだった。もちろん!
しかし、翌朝にはなぜかズーーーン……とナイーブになっていた。後で聞いたところによれば、父親PLさんも同じ症状に見舞われたそうで笑ってしまった。もっとしてやれた事があったんじゃないかとか、無事だったとはいえ怖い目に遭わせてしまったとか。本気で愛してたからこそ、親としていっぱい考え込んで胃が痛くなってしまった。
翌日の夜に通話した際も、お互いに本当にずるずる泣きながら感想を言い合っていた。こんな風に報われてよかった。あの時は驚いた。まさかああ言ってもらえるとは思わなかった。彼はこんな人だったと思う。彼女はこれが嬉しくて、だってこう考える人だから。などなど。本物の家族をアルバムをめくるような感慨深さだった。
もう、どうしようもなく私たちの中に種継家がいる。シナリオが終わっても。
種継家を愛したから。一瞬の思い出だとしても、永遠になることがあるように。
あの日から、心に種継家が住み着いた。
こんな寒い夜は、おでんを囲むだろうか。
学校帰りに傘を持って、駅まで子供たちを迎えにいって、そしたら荷物を持ってくれて。旦那さんには雪の写真を送ろうとするけどブレちゃうし上手く撮れない。
多分、円果は海で死のうとしていたところを引き止めてくれた、そのまま彼女の世界になってくれた飛鳥さんの他にろくに人付き合いもなかったからLINEとかスマホとか使いこなせないのだ。それでも送りたいと思う。
息子が代わりに撮ってくれるだろうか。
髪とマフラーに雪の結晶をつけて、お母さん、貸して、って私なんかに当たり前みたいに優しく頼もしく、背伸びしてくれるのかな。愛しいなと思う。
そういうことを幾らでも考えてしまって、スマホのホーム画面は家族の集合写真にしたりして、ずっと幸せだった。元気が出るから。
段々、これはもう楽しかったとかいう域を超えてるんじゃない?と心配になってきた。
同卓者に「引いてもいいけど引かないで下さい……」とかいう支離滅裂な弁明をし始める。
「私きっと寂しくて、いつまでも共用ツイッターを動かしてしまうけど……」
もちろん!って言ってくれる。やさしい。しかしそれにしても気持ちがデカすぎてうろたえ続けている。
たとえば、家族ものなので何よりも「母」をしていたけれど、設定を作りこんだ結果、円果としては子供たちと同じくらい飛鳥さんのことが愛しくて心配で仕方がなかった。
むしろセッション中は家族にフォーカスしていたからこそ、通過後に設定たちがどんどん沁みて膨れてきた。私たちは夫婦を徹底的に対象的に、そうすることで救われ合うように設計した。
不器用な円果とは正反対に、種継飛鳥は現代の申し子みたいな人だ。器用で家庭にも恵まれて、満ち足りていたからこそ、うまくなにかに熱意を持てない透明な地獄を生きてきた。
しっかりと手を掴んでいなければ死んでしまいそうな円果や、愛すべき子供たちがいてくれることで死に甲斐を……生き甲斐を見つけられた、わりと業の深い父親である。しかし彼の飛び抜けた器用さやファーストペンギンマインドがなければ、欠けすぎている円果とはとてもバランスが取れなかっただろう。
そんな共依存のふたりだから、父と母でありながらいつまでも恋人みたいな存在感なんだろうなと思う。それは「円果」「飛鳥さん」という呼び方にも表れている。仲良しというよりはぴったりの片割れ、生涯の伴侶、みたいなニュアンス。他者と他者が出会って救われ合う。恋人ってそういう関係性だと私は思っているので。
だから設定上夫婦である、ということを超えてふたりには幸せになって欲しいな、出会ってくれて良かったなあという思いが大きいし、最高の夫婦キャラメイクに成功したなあと一生思ってる。
それの何に手を焼いているかというと、
今も私の中の円果がたびたび「ねえ飛鳥さん、」って言いかけるんですよ。
でも、もうあのシナリオの時間は終わってしまったからお返事はもらえない。胸元まで上がっていた手がそっと降りていく。ごめんねと思う。
それは想像以上に大きい情緒で、PCを貫通してPLがつらくなってしまった。
円果という人の人生を噛みしめるにつけ、円果はただ、飛鳥さんの隣にいることが本当に幸せで仕方がないんだなあということがよく分かるので。
その心地がすべて不思議と懐かしかった。
理由に気付いた瞬間、あーあと思った。気付いたときには遅くて、瘡蓋が剥がれるどころか鮮血がどくどく流れてた。
懐かしいと感じてしまったことそのものに「ああこれ傷だったんだな」といちばんデカい瘡蓋がとれてしまい、人生を感じた!という話がしたいです。
ここからはものすごく生々しい自分語りです。
こうして一度書いておかないと、小出しにちらちら書いちゃいそうだったので書き起こさせてください。
ここからが予めツイートとして存在していた文章なんだけど、自分語りに手間暇かけ過ぎじゃないか?すいません。どうにか要ると思ったことだけ……いや、要るかどうかでいったら、そもそも何もかもお蔵入りするような話しかしてない常に。
昔、恋人のことをほんとうに大切にしていた。
生きていることはいつも居た堪れなかった。痛い、邪魔になりたくない、そればかりが五感を埋めていた。
だから本当にうれしかった、初めて同じ白いライオンに出会えたみたいで。
大学生活、人見知りでロクに知り合いもいなかったけど、その人は私と同じ孤独を持っているにも関わらずずいぶんと顔が広かった。文字通り日本中に連れて行ってくれたし、文学サークルのどこからか女の子を連れてきてはお茶をセッティングしてくれた。私がどんなに面白いのか話をしたのだと言って。
とにかく、世界はすっかり塗り変わってしまった。私は発話や会話のテンポがおかしくてトロい。内容もまどろっこしくてズレてる。いわゆるノリ、みたいなものが致命的に悪い自覚だけがあった。そう思い知って痛い目見て生きてきたのに、連れてこられた割には好意的な彼女たちとは非常に話が弾んで、あれ、こういう人もいてくれたのか。私が変われない部分も、どうにもならなくて醜いからって切り落とそうとしなくても済むのかな。というのはコペルニクス的驚きだった。
少なくとも家族にとって私は「宇宙人」である。
母が私を紹介するときはいつもそう呼ぶ。
「私の理解し難いエピソード」、たとえば「模試を嬉しそうに持ち帰ってきたので、さぞ高得点なのかと思ったら44 55 66 77のゾロ目が理由で呆れた」とかを嬉々として披露する。いつもどんな顔すればいいか分からないで、にこにこしている。
今でこそこうして書いたり描いたり服を見るのが好きな、それはもうのびやかな趣味人に育ったけれど、これも昔からじゃない。
母の私への決まり文句は「そんな下らないことしてないで」だった。ゲームや買い物はもちろん、教育に悪くない読書や洋裁も例外なく母の苛立ちの歯牙にかかる。真面目と節制の子供時代を歩き通してきた母には、私がなにかを楽しそうにしていることそのものが気に入らなかったのだろうと今は思う。私の喜びはいつでも罪悪感とともにあって、読書も年相応の服を着ることも恥ずかしく感じていた。
だから、本当に、ただひとりと出会っただけで世界が組み変わってゆく天地創造みたいな景色を私は知っている。
たとえば恋人とは議論できることが嬉しかった。苦手なものについてさえ話せた。私たちの好きな作品は重なることもあったし、被らないこともあった。長野まゆみ作品は実がなくて苦手だと言ってくれたとき、おそるおそる「それは鑑賞する観点が想定された読者のものじゃないんだと思う。多分、長野まゆみの小説は血潮じゃなくてスノードームなんだよ。」なんて話を続けられたりした。小説の本質はなんだろう?作家性とは?そういう話にすっと降りてゆけた。嬉しかった。
私でも対等に、誰かと一緒にたくさん考えられることが信じ難かった。本当にこの世界にこんなことがあるんだって、毎日幸せだった。鈴子さんの発想や感性は本当に素晴らしいものだよっていつも言ってくれた。
最初はそういう気の張ったとっておきの話こそ、楽しくてたまらなかった。
長年したくてしたくて仕方なかった、沢山の考え事や本の感想、講義の気付きや世間のちいさな歪み。いっぱいいっぱいさせてもらった。
そのうち変化に気がついた。生活のどんなちいさなことでも(それは特別な着眼点でもなければ私の感性なんてなにも関係がない)、けっこう嬉しそうに受け答えしてくれることに。
野菜果物は案外高いとか、山菜ってどうやったら家で食べられるのかな、食べてみたいねとか。それに対する返事が他愛なくたって、別にちっともがっかりしないことに私自身も気が付いた。
むしろ、人と話すことはなんて他愛なくて嬉しいんだろうって知った。
相変わらず人見知りではあったから、知り合いが増えても主な話し相手は恋人に限られたままだった。それでよかった。
気持ち的にはいつも付かず離れず話しかけてた。といっても毎晩数通ずつのやり取りだ。電話か手紙かメールか、スカイプかLINEかツイッターのDMか。今ならそこにdiscordも加わったのかもしれない。ともかくサービスが変遷しつつも、私には「いつでも話しかけていい人」がいた。
桜が咲いたよ、船が見えたよ。仕事でたくさん歩いて疲れた。店に苺が出始めていた。そろそろあの喫茶店にいきたいとか、あのニュースの行き先は不安だとか。すごく他愛ない。
○○さんっていつも呼んでた。世界が広がっても一番信じていた。別の人でもよかったのかもしれないけど、そうやってたった一人の裾を掴んで○○さん、って言えることが安心できたし自然なことだった。
色々あって一緒に生きることは出来なくなってしまったけど、それこそピンドラみたいに、一度りんごを手渡された人間はそれを見失わない、というのはきっと本当なんだろう。
今ではTRPGを趣味にするくらい、すっかり人と話すのが怖くなくなった。奇跡みたいだと思う。私はもう一人でも歩けるんだ、生きられるんだなって、毎日こわごわと有難く思っている。
────思っていたんだけど。
あまりにも本気で種継円果をロールプレイして、話して愛して心配して、カレーをうきうきと配膳するような他愛のない日常をやれてすごく楽しかったんだけど。
PLPCを混合するとかではないんだけど、なんというか運転手として眺めながら、ただただ「ああ懐かしいな」と思った。ねえ見て、雪だよって一番に誰かに言いたい、そんな気持ちそのものがものすごく懐かしくて仕方なかった。
セッションが終わってからも、私の中の円果は、飛鳥さんにたびたび話しかけようとする。
もう話せないのに。いや、全生還はしたんだけども。それでもセッションそのものは終わっちゃったから、夕飯のサンマの話とか、子供たちの学校話とか、あれはもうできなくて、そりゃそうなんですけど。
その寂しさや心地良さを手のひらに広げてみながら、ああ、私は○○さんって呼びかけられることが本当に幸せだったんだなとじわじわ自覚されてきた。気づかないで生きていた。まさしく古傷が抉れた。これはセッションの感想だけどセッションそのものの感想じゃないし、感情のやりどころがなくて、エッセイとしてnoteに書き出してしまうことにしました。あまりにもくすぶっているから半端で変なツイートになるのもどうかと思って。セッションの感想という枠組みでは説明しきれないしすることでもない、こんなの…。
たとえば数年前に大切な犬を亡くして、あの子一匹が大切だからもう二度と犬は飼わないと思っている人が久しぶりに犬を撫でた、みたいでした。
目の前のワンちゃんを昔の子に重ねてる訳じゃない、でも、目の前の子犬が幸せそうで嬉しそうだとなんかめちゃくちゃじんわり嬉しくなっちゃうんですよ。そんな視点がずっとある。
今でも気を抜くと、円果は「ねえ、飛鳥さん」と話し出す。
好きなだけ話しかけていいと飛鳥さんのPLさんにまっすぐに言ってもらえて、だから、円果良かったねって泣いてしまった。
魂込めて演じたから、種継家の人たちには幸せになって欲しいです。良くも悪くもPCって他人だと思えなくなってしまうからなあ。本当に。
本当に自分語りでしかない何かで、でもこうすること以外では説明ができないとある人生の話でした。
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