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「上陸者」ボツ原稿_fact.1@プロット沼

782文字・15min


プロローグ


 海中に蟹がいる。蟹は、海中で泡だった波に揉まれ、前に後ろにたおれ、からだを起こす。蟹はじぶんが蟹という認識はない。蟹はニンゲンとはちがうシステムで考え、海のなかをあるく。蟹はニンゲンのことば、言語、その意味と概念とは別の世界で生きる。蟹の突きでた目に、黒色に死んだ藻に絡まるアオサが引っかかる。泡で揉まれて水流で消える。波に押し流され、蟹は滑るように浜にあがる。濡れて黒色に光る玉砂利のうえを器用にあるく。空は防波堤とおなじ色だ。寒い。蟹は思った。

 ずず。

 地面が揺れた。蟹は、からだを波にさらわれる。

 蟹は未来が見えた。もちろん蟹のすべてに未来が見えるわけではない。だが、蟹は、未来を目撃した。地下壕の奥の暗い所から鎖につながれた男が引きずりだされ、人々に罵声を浴びせかけられる。鉄パイプで殴られ、コンクリートの瓦礫で造られた十字架に吊るされる。手足を杭で打たれ、武装した男どもが銃床で男を突ついた。蟹はそれを目撃した。それから男の首に大きな刃物が勢いよくふられる。三日後のことだ。

 ざぶん。波しぶきがあがる。

 その瞬間、蟹は奇跡が起こるのを見る。裂かれた男の首は、まばゆい光りを発し、繋がっていく。が、蟹にはそれはただの事象だ。蟹はそれを奇跡とは思わない。蟹は、寝ぐらへとあるく。横歩きで。蟹は、ふと背後に、大きな影を感じる。蟹の寿命はそこで切れる。踏まれたのだ。甲羅は割れて、内臓はとびだした。蟹の突きでた目が浜に上陸する男の背を見つめる。三日後、この男は、暗く湿った地下壕で斬首刑に遭(あ)う。それから奇跡の蘇(よみがえ)りを果たす。

 男は浜に、肩に背負っていた女を、そっと横たえた。

「ハン司令官。自由ってなんですか? 」

 男はつぶやく。蟹は男の声をその耳で、聴いた。

 男が国道沿いの店にむかう。蟹は、それを見た。

 つぎの瞬間、蟹は死んでいた。


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