美容整形手術後

前からずっと考えていた美容整形手術を受けた。受ける前も受けた後も、このことに対するはっきりした意見や方針が浮かばない、ただ義務のようにして医院を決めて手術を受けた。ふわっとしていて、なにか自分とちゃんと向き合うことから逃げているように思う。手術は局所麻酔のみで行い、かなり本格的に人体に改造を加える壮絶な体験だと感じた。このようなことは本来すべきではない、と術中に考えた。終わってからも、こうしたことは二度とするまいと思った。賭けのような綱渡り的な行動だと振り返った。自分は何事も慎重にリスクをおかさない方針であるのに時々こうした危険行為に身を賭してしまうことがある。いつもなら何段階も保険をかけ準備するのにあまりに安易で、これで成功したらほとんど奇跡というかまぐれのようなものかもしれない。ダウンタイム中はYouTubeなどで整形している人の体験談などをたくさん見ている。彼女たちはひどくギラギラとしておりみな元気かつ勇敢で怖いもの知らず、貪欲で話上手で、同じ人間とは思えない。ひとりを除いて、ほとんどの人が自分の最も苦手とするタイプだと思い劣等感を感じたりする。動機として、自分の場合は他人の目を気にしてマスク依存症になってしまったことだったが、彼女たちはそういうのも多少はあるだろうけどむしろ、美しくなることでモテたいとか見返したいとか、いい人生を歩みたい、得したい、幸せになりたいといったギラギラとした熱い上昇志向が強いようで、気後れする。
彼女たちは元々の顔が地味気味、薄顔である場合が多いが自分の場合はどちらかというと濃いめで、美容整形をたくさんしている人たちと元々の顔の傾向が違うようにも思う。
そもそももう顔によって評価される世界は遠い昔に過ぎ去って、今はそうしたものから離れたい気持ちが大きい。美しくなりたいというより、ただ、容姿のことで他人から何も言われたくないという気持ちが大きい。何か人と違った特徴を指摘されたり笑われたりネタにされたりすることに耐えられなく感じて、まったくの普通、突っ込みどころのない平気的な整った容姿(身長や肌の色も含む)になりたいというのがいちばんの願いだった。ただ身長が平均より低いことに度々言及されるし、肌の色が標準よりかなり濃いこともかなり言及されることが多いので、この二つについても、今年に入ったぐらいから決心して、誰からも何も言われないようにと色々と工夫し始めた。外出する時は常にかかとにシリコン製のインソールを装着し、4センチほど身長を高く見せ、平均身長に近づけているし、肌の色は入念にファンデーションを塗り込めた上に白い粉をはたいてカモフラージュしている。また、肌を白くする薬剤も使い始めた。こうした努力は、1日2日ならいいけれど、毎日どんな時もしなくてはならないとなると、だんだん疲れてきて、なぜ自分は生まれつきの容姿でいられないか、こんなに隠したり欺いたりしなくてはならないのかと理不尽な思いになってくる。

頭では、そうすべきでない、ありのままでいて安心していられるように、人から何を言われても動じないよう、自分の心を強く持つべきだと分かっているけれど、なかなか思うようにはならない。
他人の言葉もそうだし、まちなかの鏡やガラスに写った自分の姿を見てショックを受けることも耐え難かったので、ダメージを少しでも受けないように、必死の努力をして心を平静に保とうと思うのだ。

こうしたことを他人に話したとして「あなたはそのままで美しい」「気にする必要ない」など言われても、何の意味もない。

このスペースでこのように書いてくると、なにか結論を出さなくてはいけないように思ってくる、なにかそう求められているように感じてくるのだけど、それにあらがって、今出ない結論を無理にこじつけたりひねりだしたりしないことにする。そういう頭で考えた結論は意味がない、薄ら寒いから。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?